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<ソウルは深い>(1)51年になる鍛冶屋…一日1万回の槌打ち(上)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.29 17:40
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先月25日午後、プルグァン鍛冶屋で60年になる職人のパク・ギョンウォンさん(写真右)と息子のサンボムさんが槌を打っていた。
ソウルの現代的な開発は1966年「ソウル都市基本計画」が発表されて始まった。その後、南山(ナムサン)1・2号トンネル、第3漢江(ハンガン)橋〔漢南(ハンナム)大橋〕、江辺(カンビョン)北路などスピード重視の施設がつくられながらソウルは根こそぎ変わった。その間に歴史と伝統が息づいていた場所は一つ二つと消えていった。半世紀の間、屈せずに自らの姿を大事に保ってきた場所、そしてその場所を守ってきた人々の汗と涙と笑いを「ソウルは深い」シリーズに込める。

「タンタンタン」。金槌が作業用の金床にぶつかると明朗な音が鳴り響く。槌打ちが作り出すリズムと拍子は行進曲のように軽快だ。鉄の固まりを切り、たたく手つきが何とも素早い。火鉢に入れて、引き抜いて、再びたたいて…老人の頭から汗のしずくがしたたり落ちている。「プルグァン鍛冶屋」の50年余り主人をつとめるパク・ギョンウォンさん(78)だ。

 
先月25日午後に訪ねたソウル恩平区大棗洞(ウンピョング・テジョドン)の16平方メートルの狭い空間はぽかぽかとしていた。鋳鉄さえ溶かす1万度の火鉢から吹き出てくる熱のせいだった。午前7時から午後7時まで一日1万回以上も槌打ちされる金床と、ここから生まれる鍬(くわ)・鎌・鉄棒・斧など各種道具でいっぱいだった。10メートルほど隔てた外側を見ると、先端ナビゲーションを搭載した自動車が疾走し、携帯電話を手にした人々がせわしく行き来している。一方、かなり以前から時間が止まったようにパクさんと息子のサンボムさん(48)はここでキム・ホンドの風俗画『鍛冶屋』に出てくる職人のように鉄を打っている。鉄をつかむのはパクさん、鉄を打ち下ろすのはサンボムさんの役割だ。

パクさんが手に槌を握ってから今年で66年になる。江原道鉄原(カンウォンド・チョルウォン)が故郷のパクさんは「12歳の時に6・25韓国戦争(朝鮮戦争)のため故郷を離れて新葛(シンガル)に避難して来て、麺1杯を食べられるという言葉で鍛冶屋の雑用をしたのが始まり」と思い出していた。休戦後、弥阿洞(ミアドン)で本格的に仕事を習い「プルグァン鍛冶屋」の看板を掲げたのは65年からだ。当時、真っ最中だった戦後復興事業と開発事業が重なり合いながら建築道具を買い求める需要が多かったという。パクさんは「その時は、ここだけでなく三成洞(サムソンドン)、旧把撥(クパバル)、阿ヒョン洞(アヒョンドン)、ソウル駅などあちこちに結構規模の大きな鍛冶屋が散在していた」と振り返った。だが80年代以降、工場で生産する値段の安い道具があふれながら鉄を打つ音は一つ二つと消えていった。


<ソウルは深い>(1)51年になる鍛冶屋…一日1万回の槌打ち(下)

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