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侵略の歴史を教えない日本、極右の扇動をそのまま信じる(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.10.08 11:20
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映画監督・若松孝二。日本の独立映画界の精神的支柱と呼ばれる。何より個人史が波瀾万丈だ。暗鬱な田舎出身である彼は高校を中退しあてもなく上京した。20代始めに生きるためにヤクザまでしなければならなかった。半年間の収監時代に味わった恥辱に対する怒りを解く方法として映画を選んだ。

彼はしっかりと映画を学んだことはないが、社会に対する怒りを原動力として日本の恥部を告発する作品を作った。赤軍派(1970年代に活動した日本の左派武装団体)を扱った『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008・ベルリン映画祭最優秀アジア映画賞)、戦争で四肢を失って故郷に帰ってきた日本軍の戦争英雄の苦痛を通じ反戦メッセージを伝える『キャタピラー』(2010・ベルリン映画祭主演女優賞)などで日本社会の陰を掘り起こした。日本映画界の「反骨」または「けんか屋」と呼ばれる理由だ。

 
若松監督が4日に開幕した釜山(プサン)映画祭で「今年のアジア映画人賞」を受賞した。50年間に映画100本余りを作った功績のおかげだ。『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』『海燕ホテル・ブルー』『千年の愉楽』など今年撮った作品3本も公開された。今年カンヌ映画祭でも注目された『11・25自決の日』は強盛な自衛隊を叫び1970年に自決した作家三島由紀夫の最後の瞬間を描いた。70代半ばでも依然として現役で活躍する若松監督と5日に釜山の映画の殿堂で会った。

――なぜ三島由紀夫なのか。赤軍派映画を作った若松監督なので驚いた。

「赤軍派と三島は思想の違いはあったが、社会と国を変えようと立ち上がり挫折したという点では全く同じだ。私益より国家を心配する心が先んじた。彼らを忘れずにいなければならないという考えで映画を作った。私は左でも右でもない」


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    2012.10.08 11:20
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    第17回釜山映画祭で「今年のアジア映画人賞」を受賞した若松孝二監督。歴史的事実を糊塗する日本の指導層に対する批判を浴びせた。
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