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【時視各角】日本はひとつではない(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.06.18 11:28
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彼らの荒々しい姿を見てだれが大事な子どもを安心して日本に留学させるのか。「朝鮮人を殺せ」という彼らの言葉の挑発は北朝鮮の威嚇と肩を並べる。このままなら外国人の立場から日本はこれ以上安全な国ではない。いくら先進国で、いくら学ぶことが多くても外国人には常に身辺への脅威が潜んでいる国だ。

幸いなのは日本国内で彼らに対するけん制が大きくなっているという点だ。騒々しい声は出さないが良識ある日本人は在特会に大きな拒否感を示す。半月ほど前に東京で会った日本のメディア関係者は一様に在特会の過激なヘイトスピーチを批判した。

 
日本語には「一枚岩」という言葉がある。固く結束している組織やそのような状態を示す。保守政治家と右翼団体の言動だけ見ると日本はまるで隙間のない右翼の塊に映るだろう。だが、それが日本のすべてでは決してない。日本も多様性と遠心力が働く社会だ。そうした力がつくのに時間が多少かかるだけだ。

また、日本人も日本人によりけりだ。良心的な日本人ほど良心的な人もないが、ずる賢い日本人よりさらにずる賢い人間もいないだろう。礼儀正しい日本人よりさらに礼儀正しい人もいないが、醜悪な日本人ほど醜悪な人間もやはりいないのではないかと思う。極端と極端がひとつの社会に共存しているという話だ。だから日本はどうだ、日本人はどうだと一言で話すのは危険なだけでなく正確でもない。韓国をはじめどの国もみんなそうなのではないか。

結局挙国的に沸き立つ反韓と反日というものも極端と極端がぶつかり合って起きた摩擦熱で両国全体が熱くなった現象ではないのか。これを本質にまで拡大解釈する必要はない。いまは胴体が、根が、重心をとらえバランスを取る時になった。それでこそ端っこで揺れる小枝が胴体を揺るがすことができなくなる。それが日本が好きで、韓国が好きで互いに行き来する若者たちのために既成世代がすることだ。

ナム・ユンホ論説委員




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