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【コラム】開かれた民族主義がドイツのW杯優勝を導いた=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.17 11:38
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ドイツのサッカーワールドカップ(W杯)優勝は偶然ではない。10年越しに準備してきた末の結実だ。特に目につくのが肌の色や出身を問わずに選手を起用する開放性だ。ドイツ代表サッカーチームでは、2人の移民者の子孫、2人の混血人、そして2人の「帰国者」が共に走った。両親がトルコ出身のメスト・エジルや旧ユーゴスラビアであるマケドニアのアルバニア系出身者シュコドラン・ムスタフィは移民者の子孫だ。ドイツはトルコと旧ユーゴスラビアから労働移民を受け入れ、難民も多く受け入れたが、彼らはそうした開かれた政策がドイツに抱かせた「人材のプレゼント」だろう。ジェローム・ボアテングとサミ・ケディラは父親がそれぞれガーナとチュニジア出身だが、母親はドイツ人だ。

目につくのが帰国者だ。ルーカス・ポドルスキーはポーランド人の両親のもとでポーランドで生まれたが、祖父母がかつてのドイツ国籍のため2歳の時に両親とともに合法的に西ドイツに移住した。ミロスラフ・クローゼはドイツ系ポーランド人だったが、8歳の時に両親について西ドイツに移住した。当時彼はドイツ語の単語を2つぐらいしか知らなかったという。この2人の故郷であるシレジアは第2次世界大戦前はドイツ領土だったが戦後ポーランドに移った。シレジアのほかにも東プロイセンなどがこうした運命を経た。そこのドイツ人はほとんどが故郷を離れて故郷に戻れぬ民となり、ごく少数だけが残った。その上ロシア・ハンガリー・ルーマニアなど東欧各地には中世の時に移住したドイツ人の子孫が生きている。ドイツの農夫は中世から農作業がうまいことで有名だったが、借金に窮した愚かな領主が、民を村単位で外国の借金相手に引き渡すことが多かった。彼らの子孫は現地にうまく定着したが第2次世界大戦後、相当数が追い出された。

 
ドイツは西ドイツ時代からこうした海外残留者の子孫が後からでも望めば「帰ってくる権利」を法的に保障した。一種の開かれた民族主義だ。ドイツは第2次世界大戦後、被害諸国と犠牲者に対する道徳的な義務を破らないことはもちろん、ドイツ系ディアスポラ(離散または離散住民)の責任も忘れていないのだ。クローゼとポドルスキーはそのおかげでドイツに「帰国」してサッカー選手になれたし、彼らは今回その恩恵をしっかりと返した。


【コラム】開かれた民族主義がドイツのW杯優勝を導いた=韓国(2)

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