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【コラム】セウォル号の主犯は市民がいない民主政治(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.05.28 13:47
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そうしてこそ国民の傷も癒える。国民は、大統領が出した27種類の国家改造項目が果たして適切な代案なのか分からないうえ、改造の主役が依然として国家だという点に納得していない。

なぜ胸に傷を負った市民に尋ねることができないのか、なぜ国家不信に戦々恐々とする市民社会に信頼回復の返事を求めないのか。「純粋遺族」が不純な集団と会わないか警察は見張りをしなければならなかったのか。怒ったデモ隊を連行すれば和らぐのか。雰囲気反転のために放送協力をひそかに要請したのか。もしかしてワールドカップが開催されるのを待ちこがれているのか。

 
無能国家のもつれた漁網を国家だけが修繕できると信じる政界の確固たる国家主義は古い発想だ。2013年の1年間を利益闘争と誤作動で無駄に歳月を送った国会が、セウォル号の国政監査を万国に毅然と宣言した、その破廉恥な忘却症状も珍しい。国会が青瓦台をめぐり国政監査に含めるかどうか甲論乙駁したほどに、市民社会は国会を召喚して監査するのか問い質さなければならない。一方的な指示で一貫してきた統治者と書き取る閣僚をただ眺めてきた与党、場外闘争が専攻の野党、親北朝鮮理念で隙間戦略を駆使した小数政党が、選挙を控えて国家改造という突破口に歓呼する姿は野合と変わらない。「涙は遅れ、対策は早かった」という野党代表の華麗なレトリックは、執権与党の弱い足取りまでも阻止する対策のない拒否権であることを、市民は知っている。国会も市民監査の対象だ。

しかし国民は、法律家をまた別の法律家に変え、将軍をまた別の将軍に交代する、その非常に深い国家主義に、さらに途方に暮れるかもしれない。悲痛だったこの1カ月間、市民の意識は政界よりはるかに成熟していることを見せたが、有効期間が過ぎた国家主義が猛威を振るう時代、誰が市民を恐れるだろうか。セウォル号の惨事の主犯は「市民のない民主政治」だった。

宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大教授・社会学


【コラム】セウォル号の主犯は市民がいない民主政治(1)

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