【コラム】ひっくり返そう、青瓦台警護室(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.01.19 11:15
朴槿恵(パク・クネ)政権初期の時だ。日差しの良い春の日、ある青瓦台(チョンワデ、大統領府)秘書官が構内の散策に出た。緑芝園(ノクチウォン)を過ぎ本館側へ向かうころだった。耳にイヤホンをした警護員がどこかから近づいてきた。そして「大統領様が出てきます。どいてください」として道をふさいだ。散策しようとしていた秘書官は慌てた。だが何も言えなかった。彼は私席でその日を回想し、「私が大統領をどうにかするのでもなく、いや秘書官は大統領とそんな風にでも会って疎通もするものではないのか」と不満を示した。
朴正熙(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)時代、警護室の威勢はすごかったという話をあえてする必要はない。警護の力は依然として有効だ。大統領の安全を掲げた警護の名分はすべてを圧倒する。実際に大統領の外部スケジュールは事実上警護室が最初と最後を掌握する。大統領の安全のために必要でありそうすべきことだ。だがそれが日常化して権力になる。青瓦台首席秘書官も警護室が反対すれば大統領のスケジュールを組むことはできないケースが少なくない。「警護上難しい」と言われれば終わりであるためだ。そこで警護室の顔色をうかがう秘書室ができるのだ。過度な警護は大統領の動線を統制し疎通を防ぐ。青瓦台内部では「青瓦台の主人は警護室」という言葉もある。大統領は5年ごとに変わるが警護室は永遠に変わらないという意味からそのように話す。これは警護室の自負心でもあるが、一方では傲慢の気配が読み取れる。