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【コラム】大統領選候補、マンデラ氏の大胆な和解を見よ(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.04.07 17:27
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南北戦争中に共和党候補として大統領に当選したリンカーン氏は党内の政敵ウィリアム・シーワート氏を国務長官に、サーモン・チェイス氏を財務長官に任命した。リンカーン氏は「なぜ内閣に敵と反対者などを任命したのか」という記者の質問にこのように答えた。「われわれは国民を統合しなければならない。彼らは党内実力者だ。私は国民が彼らの奉仕を受ける権利を剥奪する権利がない」(ドリス・グッドウイン、『Team of Rivals』)。バラク・オバマ氏が選挙戦相手のヒラリー・クリントン氏を国務長官に任命したのも韓国の大統領選候補には手本になる。

しかし、東西古今の政治史で今日まで想像を絶する政敵包容を通した大胆な和解と妥協を実践した政治家はマンデラ氏だ。南アフリカ共和国は17世紀にオランダ人が移住し、部族集団を一つにして国家の形態を作った。これにフランス・英国・ドイツなど欧州人が加勢してアフリカーンス(Africaans)という新造語を使うアフリカーナー(Africaaner)という「国民」が誕生した。全体人口の5.4%しかならないアフリカーナーは、悪名高い人種差別政策(Apartheid)で黒人が差別され、その人権を徹底して蹂躪された。マンデラ氏は20代からこのアパルトヘイトに抵抗する闘争に飛び込んだ。マンデラ氏は27年も石灰採石場の強制労働をはじめ、刑務所生活を強いられた。

 
1980年代から南アフリカ共和国の白人政府によるアパルトヘイトに対する国際社会の圧力と経済制裁が強化された。89年、ドイツのベルリンの壁の崩壊を見た南アフリカ共和国のフレデリック・ウィレム・デクラーク元大統領は翌年2月、マンデラ氏を条件なしに釈放してマンデラ氏のアフリカ民族会議(ANC)を合法的な政党と認定した。マンデラ氏は刑務所から出てヨハネスブルクの10万群衆の前で演説し、白人少数派との平和と和解に貢献すると宣言した。

94年、南アフリカ共和国最初の黒人大統領になったマンデラ氏は他のアフリカ国家が独立後、白人を迫害した結果に注目した。ほとんどのアフリカ諸国は独立は成し遂げたが、白人の経済エリートが離れて新生国家が必要とする経済を建設することができなかった。マンデラ氏は南アフリカの理想的な姿を多民族による「虹の国家」に設定した。

彼はアフリカ黒人の功績1号であった前任大統領デクラーク氏を黒人政府の大統領代理に任命し、デクラーク氏が率いる国民党(NP)所属の管理・政治家5人を閣僚職に任命した。彼は大統領官邸もデクラーク氏に明け渡した。黒人の反発はマンデラ氏のカリスマ的リーダーシップで克服した。

韓国の大統領候補は抽象的な和解・妥協を叫ぶよりは、リンカーン氏やマンデラ氏やオバマ氏から政敵包容を通した大きな和解と大妥協を学ぶべきだ。韓半島(朝鮮半島)の安保状況はわれわれが感じている以上に差し迫っている。対内的和解が安保危機の対処に向けた第一歩になるだろう。新しい大統領の確かな和解・統合のビジョンと確固たる意志が求められている。彼に朴槿恵氏の失敗は有難い反面教師だ。

金永熙(キム・ヨンヒ)/コラムニスト・論説委員


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