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【コラム】伝統文化が都市のアイデンティティ…記憶失った都市には未来なく=韓国

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.09.09 10:54
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文化都市というのは、歴史性をもとに自己のアイデンティティを持っていて公共性が拡張され保障される都市だ。歴史性と正統性、有機的な文化インフラと文化政策、個性的な文化空間と都市景観を備えなければならない。韓国に文化都市という概念が導入されたのは2001年に改正された都市計画法で、文化都市を模範都市として指定できるよう規定してからだ。

ソウル・全州(チョンジュ)・慶州(キョンジュ)・光州(クァンジュ)・扶余(プヨ)・益山(イクサン)は文化都市として数えられるほどの古都だ。だが多くの外侵や韓国戦争(朝鮮戦争)、急激な産業化で過去の姿をほとんど失った。その上、ソウルの5大宮廷、全州・慶基殿(キョンギジョン)、慶州・瞻星台(チョムソンデ)、光州・公山城(コンサンソン)、扶余・落花岩(ナクファアム)、益山・弥勒寺(ミルクサ)跡は損なわれたがかつての姿がおぼろげに残っており、文化都市の象徴としての位置を確立している。

 
「百済の歴史の前半期500年の歴史を大切に保管していた漢城(ハンソン)百済の実体が高句麗に敗れた後に消えました。百済の都の地である扶余は唐・新羅連合軍によって全て燃えたし、モンゴルの侵入で黄龍寺(ファンニョンサ)をはじめとする新羅の王京の重要建築物が石造遺構と道路遺構だけを除いてほとんどが消失しました。私たちのかつての都市が、大々的な空間構造の変化を経ることになったのは日帝強制占領期間です。戦争が短期間にかけて起きた伝統文化の空間破壊ならば、日本植民地期間は比較的長期間にわたって組織的に行われた伝統文化空間のき損だったと見ることができます」。

韓国鑑定院のチェ・ミオク不動産研究院長の指摘だ。

急激な産業化は伝統都市を没個性の密集住居空間にしてしまった。慶州市の場合、1980年に都心に4階アパート23棟が建設されながら都心の景観が大きく変化し始めた。1990年代からは北川(プクチョン)の北側地域に9階から20階建てアパートが本格的に建設された。百済の首都であった公州の旧都心は錦江(クムガン)以南だった。今は江北(カンブク)に新都市が生まれて都市の顔が大きく変貌した。

都市文化のアイデンティティについて尋ねた世論調査で、市民が最も重視するのが伝統文化(23.5%)だった。大衆文化・エンターテインメント(19%)、観光およびショッピング(17.9%)が伝統文化の次に多かった。都市のアイデンティティは、都市に積み重なった記憶によって作られる。歴史は、過去についての1つの表象だが、記憶は私たちを永遠なる現在に縛っておくひものようなものだ。記憶のない都市には未来がない。

モ・ジョンリン教授の著書『小さな都市、大きな企業』によれば、産業化が必ずしも文化都市を傷つけるだけではない。むしろアイデンティティがなかった都市に明確な特徴を付与したりもする。外国のケースでなくとも蔚山(ウルサン)と重工業、浦項(ポハン)と光陽(クァンヤン)の製鉄、水原(スウォン)と半導体が良い例だ。特定都市を拠点に成長している企業らは、ほかの都市とは違う都市文化を作る。その企業がかつての記憶を消して新しい都市文化を作り出すのか、でなければ過去の記憶に基づいてその上に新しい記憶をさらに積み重ねていくかが重要だ。記憶を訪ね行く文化都市づくり、私たちの時代の韓国文化界のもう1つの使命だ。(中央SUNDAY第391号)

キム・ジョンロク客員記者・文化国家研究所長

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