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【噴水台】高宗の国璽

2009.03.19 14:59
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1949年、中国大陸で共産党に敗れて台湾に行った蒋介石には座右の銘が一つあった。心の中に常に刻んでおいた一種の誓いだった。「莒(きょ、くさかんむりに口を縦に2つ)国にいた時代を忘れるな」という成語で、蒋介石統治時代の台湾の人々には非常に聞き慣れた言葉だ。蒋介石が52年、大陸に続いている最前線の金門島を視察しながら、この成語を軍部隊に残すことで有名になりはじめた。

 
そのわけはこうだ。春秋時代5大覇者の一人だった斉の桓公が、ある日管鮑之交で有名な管仲、鮑叔ら、臣下たちとさかずきを交わしていた。酒が何杯か回った後、桓公は不意に鮑叔に乾杯の音頭をとるように言った。

さかずきを持って前に出た鮑叔はこんな言葉を言った。「殿下は王子時代にきょ国で経験した苦労を忘れないようにさせ、観衆には魯の国であった苦労を忘れないようにさせ…」酒がほどよくまわってきた桓公は、この言葉を聞いた後、姿勢を正して深くおじぎする。

臣下の言葉を聞いて頭を下げただけに王が感動を受けたようだ。桓公は「寡人と大臣たちが先生の言葉を忘れずにいてこそ国が危険に陥らない」と肯定的に回答する。桓公が経験した苦労が気になるところだ。

先代王だった襄公時、斉の国では内乱が起こった。王子だった桓公は当時、死の峠を迎える。鮑叔の助けで辛うじて斉を脱出した桓公は、隣のきょ国に身を隠す。貧しい農家でかろうじて命拾いをした桓公は翌年また鮑叔の助けでなんとか帰国して王座に上がる。その苦労の内容は詳しく知られてはいないが、危ない場面が少なくなかったものと見当をつけることができる。

蒋介石が再活用したこの成語は結局困難に処した時代を忘れないようにという内容だ。一歩進んで自分の根本を忘れずにもっと頑張ろうという誓いも込められている。戦乱と災害が常に続いてきた中国の歴史では危険に備えることが大事だ。したがって安全な時でも危険を想定するという「居安思危」という成語も作られた。

国家の運命が風前の灯のようにぼんやり見えた時期の大韓帝国の高宗が使った国璽が姿を見せた。日本の侵奪を控え、イタリアなどで支援を要請する国書に使った秘密の印だ。

文化財としての大事なことも大きいが、当時の韓半島の深かった危機状況を想像できる遺品であることから、人文的な価値の方が大きい。ちょうど今日の大韓民国も危機に準する状況に陥っている。国の根幹を今一度引き締めて、いつ近づくかもしれない大きな危険に、共に備える時だ。

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