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<インタビュー>韓国初の宇宙飛行士、イ・ソヨンさん(2)

2009.01.09 19:06
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 2.宇宙飛行士とその後

 
イ・ソヨンさんはインタビューの終始、宇宙飛行士としての位相と自然人イ・ソヨンさんとしてのアイデンティティーが一致せず、悩んでいるようだった。 イ・ソヨンさんの正直な性格と快活さは韓国初の宇宙飛行士としての立場としては、いつの間にか不便なものに変わっていた。 言葉と表情から深い煩悶を読みとることができた。

--実際に宇宙飛行士になった後、虚脱感を感じたことはありませんか。

「日本の最初の宇宙飛行士が田舎で農作業をしているという話を聞いたことがあります。 日本政府が公式的な宇宙飛行士を誕生させようとして埋もれてしまったのです。 私はその方が何もしないというのは、自分のタレントを埋没させる行為だと思っていました。 しかし最近は十分に理解しています。 それまでどれほどつらかったのか、その悩みは理解できます」(01年以降、民間宇宙旅行客が増え、彼らをどのように分類するかをめぐって論議があった。 この場合は普通‘宇宙飛行参加者’(spaceflight participant)と呼ぶ。 日本の場合、1990年に東京放送の秋山豊寛さんが宇宙飛行をしたが、日本政府は秋山さんを正式な宇宙飛行士として認めなかった。 実際、韓国もホ・ジェミンさんがオラクル主催の宇宙旅行商品券に当選し、イ・ソヨンさんよりも先に宇宙旅行をする計画だったが、この場合も宇宙飛行士として認められない可能性が高かった。 その後、ホ・ジェミンさんは‘国家のために’という理由で宇宙旅行をあきらめたという。 それほどこの問題は敏感な問題だ)

--今後はどういう計画ですか。

「まずはもっと勉強しなければいけません。 博士といいながら、自分には分かっていないことが多いことを知りました。 学部の頃は機械に関してプライドがありましたが、修士・博士課程で感じたことは、自分が分かっていないということでした。 私が知っているのは氷山の一角にすぎないことを知りました。 これからは水面下にある大きな塊について知るべき時期になりました」

--では最近、また専攻の勉強や宇宙研究に力を注いでいるのですか。

「いいえ。 6カ月間ずっと講演や行事に参加しています。 私の中身がどんどんなくなっていく感じです。 正直言って中身のない虚像として消耗するのが切ないという心情もあります。 経験を共有するまでは良いのですが、来年の種まで食べてしまえば、種をまた蒔かなければならないときに種がありません。 いま私を必要としている人たちは、私が種を残すかどうかということに関心を持っていません。 私が自ら良い種と良い実を作らなければいけないという宿題があります。(イ・ソヨンさんの講演は普通一日に2回、多ければ週に12回ほど行われる。 そのほか宇宙関連行事への出席日程も詰まっている。 科学技術に対する国民の関心を誘発するという側面では理解できるが、先進宇宙技術を一日も早く韓国の宇宙技術に取り入れるというより大きな目標からはそれだけ遠ざかっているという印象を受ける)

--専攻の勉強に少し無理があるようですが、今後はどうする計画ですか。

「博士課程を終えて卒業するとき、宇宙飛行士になったから審査を通過したという人がいました。 私は5年という時間を投資しましたが、博士号をそのように取得したと言って済ませるのです。 私の青春をかけた勉強は何でもなく、宇宙飛行士になったことが博士を作ったということです。 KAIST(韓国科学技術院)の人でもそのように話す人がいました。 薄情なことですが、どうしようもありません。 もちろん私は研究開発でノーベル賞を受けるような人材ではありません。 しかし科学技術の夢を伝える趙慶哲(チョ・キョンチョル)博士(韓国宇宙環境科学研究所所長)のようになれればいいと思っています」

--趙慶哲博士のような役割とは、趙博士のような学問的な業績ではなくても、一種の科学メンターのような役割をいうのでしょうか。

「そうです。実際にこれは非常に重要なことですが、私たちの学界ではあまり重視されていません。しかしそのような人がいてこそ、新しく研究をしようという人が出てきます。ネイチャーやサイエンスに出す論文だけが重要なのではなく、そこに論文を載せられなくても社会に大きく寄与する人や研究はたくさん存在します。私の博士論文が世界に大きな影響を与えるようなことはありませんが、博士学位の勉強と宇宙飛行士の経験をつないでそのような役割を果たそうという考えは持っています」

--趙慶哲博士のような科学伝導師になること以外に、宇宙飛行士としての具体的な将来の夢はありますか。

「10年ほど経てば、放送局のドキュメンタリーチームが私を訪ねて来ないでしょうか。‘宇宙飛行士、その後10年’というようなタイトルで。 しかしそのとき私は何をしているか分かりません。 韓国宇宙産業への投資が増え、自分も頑張って何か役割を果たしているかもしれませんし、子どもを育てる平凡な母親になっているかも分かりません」

--その言葉は、宇宙科学への大きな関心の後に、実質的な支援が不足していることを惜しむ気持ちを込めたような感じですが。

「そうかもしれません。 だから私も確実な自信がありません。 どんなに過去が良くても、しっかりとやらなければそうなるという考えを持って生きていかなければなりません。 友人の中には‘君はこの時代の犠牲者だ、君をこの場所に引き出してじゅうりんしているのだ’という極端な話をする人もいます。 遠くから見る有名なイ・ソヨンは大きなチャンスをつかんだ人間のように見えますが、近くにいる人には200億ウォンのイベントの犠牲者として映ることもあるということです」

--宇宙飛行士になったことを後悔したことはありますか。

「ないはずはありません。 宇宙から帰って来たら状況がこうなること、こうしたいろんなことがあると知っていたら、本当に挑戦していただろうかと後悔することもあります。 私は今後、宇宙産業が少なくとも日本水準のレベルになると考えていました。 日本もまだ始まったばかりですから。 ところがそういう兆しは見えません。 しかしそれを引き出すのが私の任務ではないでしょうか。国民が宇宙に関心を抱き、科学技術に愛情を持つように立派な手段になること。 私は存在しない手相を描いてでも運命を変えたいと思う人間です」


<インタビュー>韓国初の宇宙飛行士、イ・ソヨンさん(1)

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