【グローバルアイ】 韓国産の製品に「韓国」がないとは
ニューヨークで会った国内一流電子企業の幹部から「中国のライバル会社のことは心配しなくても良かったよ」という豪言を聞いたことがある。中国警戒論が広がると思っていたので、ちょっとうれしい話だった。理由が意外だった。技術格差のようなものではなかった。「中国に行ってみたら現地の人たちはお金さえ儲かれば高い韓国製や日本製の携帯電話やテレビばかりを求めて自国製品にはそっぽを向いていた」ということだったのだ。外国製を持つことが身分上昇の兆候として通じるからだそうだ。「以来、中国製が高級品として浮上することはない」とこの幹部は壮語した。
言いかえると国内企業は国民の国産品愛用で芽を開かせることができたが、中国企業はそんな潤った土壌がないという話だ。今はソニー、パナソニックを見下すほど大きくなった国内電子企業だが、1980、90年代は外国製に比べていまひとつだった。若者の間ではソニーウォークマンが羨望の対象で、米国の駐在員なら通例日本製のテレビ、米国製の冷蔵庫を持ちこんだ時代があった。それでも韓国人消費者たちは何であれ無条件、国産品を使わなければならないと信じた。どうせなら国産品を買ってあげようという心がしみついていた。最近会ったある同胞も「ずっと買おうと思ってきた韓国車を買った」とし「移住して30年たってようやく心の荷を軽くした」と話した。法的に米国人になってからも頭を離れない故郷の車を買わなかったことが心の隅に重たい塊となって残っていたのだ。