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「子孫が独立運動家でも親日派の財産は国に帰属させるべき」判決

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.07.15 08:31
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父は親日派だった。その子と孫は独立運動をした。では、この親日派を反民族行為者の範囲から除外するべきだろうか。

裁判所の判断は厳格だった。清州(チョンジュ)地裁は14日、親日派・洪承穆(ホン・スンモク)の子孫ホン氏(67)が「忠清北道槐山郡(チュンチョンブクド・クェサングン)にある田畑や林野など51万7000平方メートルを国に帰属させたのは不合理だ」として法務部長官を相手取り起こした親日財産国家帰属決定取り消し請求訴訟を棄却、原告敗訴判決を出した。

 
清州地裁は「洪承穆は1901年の韓日強制併合以後、朝鮮総督府で勤務し、1918年に日帝から該当不動産を取得した点については争うことはない」とし「親日反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法が定めた反民族行為者に該当する」と判決した。

「子と孫が独立運動をしただけに洪承穆を反民族行為者から除外するべきだ」というホン氏の主張に対しても、清州地裁は「子孫が独立運動をしたとしても当事者が独立運動をしなかったとすれば反民族行為者から除外できない」と判決した。特別法は親日行為をした当事者が後で独立運動に積極的に参加したり、日帝から受けた爵位を拒否・返却した場合、反民族行為者の例外にすると規定している。

清州地裁は「洪承穆の不動産は日露戦争開戦(1904年2月)当時から1945年8月15日までの親日行為の見返りとして取得したもので、すべて国に帰属させるべき」と付け加えた。

洪承穆は1901年10月、朝鮮総督府中枢院参議(諮問委員)に任命され、1921年まで活動した。1909年3月には帝国実業会の会長を務め、一進会の併合請願運動に加わった。1914年には日本軍人後援団体の京城軍人後援会に寄付をした。こうした点を日帝から認められた洪承穆は1918年に忠清北道槐山の土地を受けた。

しかし洪承穆の息子のホン・ポムシクは錦山(クムサン)郡守として在職した1901年8月29日、韓日併合に反対しながら自決した。洪承穆の孫である小説『林巨正』の作家ホン・ミョンヒは1913年、海外独立団体の同済社で活動、1919年3月に槐山で独立宣言書を作成し、万歳運動を主導した。子孫のホン氏らはこうした点を取り上げながら洪承穆を反民族行為者の例外にするべきだとして、昨年9月、清州地裁に訴訟を起こした。

判決が出ると、光復会忠北支会のソ・サングク事務局長は「親日行為で形成された財産を子孫が取り戻そうと訴訟を起こしたこと自体が誤り。裁判所の判決を歓迎する」と述べた。ホン氏は「私有財産の侵害だ。直ちに控訴する」と話した。

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    2011.07.15 08:31
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    小説『林巨正』の作家ホン・ミョンヒ。
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