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「日本が終わっても自分たちは幸福だ」…日本若者の未来観(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.19 09:51
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事実「日本の若者たちはなぜ幸福なのか」という著者の問題意識だけみれば本全体をすべて読む必要はない。現在若者たちがどのような状況に置かれ、何を考えているのかを知るためには2章と6章だけでも十分だ。まず古市が出した答から見てみよう。彼は日本の若者たちが「ある目的を達成するために邁進するのではなく、同僚らと仲良くしながら余裕を持って自分の生活を楽しむ生活方式」を選ぶと話す。すなわち、「社会という大きな世界では不満を感じるが、自分たちがいる小さな世界に対しては満足している」ということだ。

日本の若者たちの目には世の中がより良くなる兆しは見えない。現在よりもっと幸せな未来を達成することも不可能だ。それでも関係ない。とにかく彼らは親の世代と比較にならない物質的な豊かさを享受しているためだ。「ゲーム機のWiiやPSPを購入できる水準の経済状況、また、これを一緒に楽しむことができる社会関係的資本(友だちや恋人など)を持っているなら、大抵の場合の人々は幸福だ」と古市は話す。日本の若者たちは、たとえ将来が暗くても現在その程度の余暇は楽しめるほどの経済力を持っている。

 
現在の若者たちに親の世代のように懸命に働き家と車を買い安定した老後を設計する見通しがあるならば、多分大多数の若者はそのような未来のために現在の幸福を相当部分犠牲にするだろう。しかし現在の若者たちには未来がない。さらに望むほどの未来がないため、「ある目的を達成するために邁進するのではなく、同僚らと仲良くしながら余裕を持って自分の生活を楽しむ生活方式」を選び、その結果自分たちが幸福だと感じる。これが古市が「日本の若者たちは幸福だ」と判断する理由だ。

別の見方をすれば暗鬱なことこの上ない結論だ。未来がないため現在からわずかな幸福を求めるため、若者としての覇気やチャレンジ精神は跡形もなくなったようだ。既成世代も先を争って若者たちを批判する。古市は「私生活に埋もれた」「視野が半径2メートルにすぎない身辺第一主義」など、若者たちに向けられた既成世代の批判も紹介する。これでも良いのか。より良い未来をあきらめた若者たちが主流である日本に未来があるだろうか。

◇魔法から解き放たれた若者たち

この本の真価はここから出る。古市は若者たちに向けられた既成世代の意見に批判的な見方をあちこちで示す。古市によると既成世代の批判は1900年代に日本が戦争を起こし高度成長を成し遂げながら、若者を自身の好みに合うよう裁断した既成世代の地団駄にすぎない。20世紀の日本の既成世代は若者を皇国の兵士として、高度成長社会の消費者として、または新たな流行を起こすトレンドセッターとして浮上させ、「便利な協力者」として扱ってきた。現在の日本社会が「失われた20年」の中で大きく変わり、若者たちが協力者の役割から抜け出し始めたことから、既成世代は再び若者を日本という国の動力とするために努める。


「日本が終わっても自分たちは幸福だ」…日本若者の未来観(3)

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