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任天堂復活に貢献の33歳マリオ、映画界も眺める(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.20 12:19
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下水道の中で左右に移動する配管工のスーパーマリオはもう昔の話だ。新しくなったスーパーマリオは3次元の海中を泳ぎ、森の中で360度望む方向に走る。「クリボー」が現れれば昔のようにジャンプして頭を踏んでもよいが、ジャイロセンサーが入ったジョイステックを振るだけで帽子を投げて対処する。月の国までも飛んでいく「オデッセイ号」に乗れば両手に握ったジョイステックがエンジンの音に合わせて振動する。「ニンテンドースイッチ(Switch)」で試してみた「スーパーマリオオデッセイ」ゲームのことだ。

任天堂は昨年3月に発売したニンテンドースイッチで復活に向けて動き出した。ニンテンドースイッチは昨年、世界で約1500万台売れた。日本では品薄になった。東京都内の電子製品店では昨年末まで予約販売どころか、抽選や先着順で購入できるほどだった。任天堂復活の先鋒はマリオだ。昨年末基準でニンテンドースイッチ用ゲーム「スーパーマリオオデッセイ」は900万枚、「マリオカート8デラックス」は730万枚売れた。

 
任天堂は昨年10-12月期の売上高を4829億円と発表した。前年同期比177%増、2009年以降の四半期別実績で最高だ。株価は1年間で2倍に上がった。13日の終値は4万5840円。任天堂の株価は2008年6月に6万3800円で最高値をつけた後、一時は8060円まで落ちていた。1年前の日本株式市場で時価総額31位だった任天堂は先月、時価総額10位(6兆7958億円)に浮上した。

1981年に任天堂は北米支社のアーケードゲーム機在庫2000台を処理するためにリサイクルゲーム「ドンキーコング」を作った。1977年に入社した宮本茂氏のアイデアだった。体が大きなドンキーコングがさらった女性を救いに行く名前のない「ジャンプマン」がスーパーマリオの始まりだった。ドンキーコングが成功すると、ジャンプマンに「マリオ」という名前をつけて1985年に独自のゲームシリーズとして独立した。独立シリーズとして「出生届」を出してから33年目だが、マリオは今でも明るい表情でピーチ姫を探して冒険中だ。

任天堂を復活させたのは原則だった。2002年に就任した岩田聡元社長は沈滞する任天堂を立て直すために熟練者ではなく老若男女が楽しめるゲーム市場に注目した。

ライバル企業のマイクロソフト(MS)のXboxとソニーのプレイステーション(PS)はゲームマニアが熱狂する複雑な先端ゲーム機だ。しかしゲームの「門外漢」の目にPSのコントローラーは複雑であり、何を押せばよいのかも分かりにくかった。相対的に任天堂は操作方法が簡単だ。「ゲーム機は操作が容易でなければいけない」というのが岩田元社長の原則だった。

204年に発売した任天堂DSは十字キーに慣れていない非熟練者、中壮年層の消費者向けにタッチペンを付けた。2006年に登場した任天堂Wiiはコントローラーを手に握って腕を振る方式だった。操作方法がやさしく家族的だった。ゲームもほとんど馴染みやすいものだった。マリオと弟ルイージは2人プレイモードでも善意のスピード競争をするだけでお互い攻撃しなかった。マリオやポケモンのゲームを楽しむのに新しい世界観に慣れる必要もなかった。


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