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【コラム】北アイルランドから見た韓半島危機(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.09.26 11:00
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英国領である北アイルランドで2番目に大きい都市であるロンドンデリー。アイルランドの人々は「デリー」と呼んでいる。ロンドンデリーから南西に15キロメートルぐらい行けば国境の村コセクインが出てくる。北アイルランドとアイルランド共和国の間にある小さい村だ。どこにも境界を示す表示はない。両側をつなぐ4車線があるだけだ。誰かが教えてくれなければ国境があるかどうかも分からない。

北アイルランドとアイルランドの国境は地図にしかない境界だ。500キロメートルに達する「境界のない境界(borderless border)」を越えて人と物資が自由に行き来している。両側をつなぐ210の道路を通じて毎日3万人の人々が相手地域に出退勤する。北アイルランドは暴力とテロで汚された紛争の土地だ。アイルランドとの統合を望むカトリック界住民と英国領に残ることを望む新教徒住民間の流血紛争で数多くの死傷者が発生した。1960年代末から90年代末まで約30年の「ザ・トラブルズ(The Troubles)」期間の間にあった3万7000件の銃撃事件と1万6000件の爆弾テロで3500人が死亡し、5万人がけがをした。

 
72年ロンドンデリーで起きた「血の日曜日」事件が代表的だ。差別撤廃を求めて平和行進に出たカトリック界住民たちに向かった英国軍の発砲で14人が死亡し、13人が重傷を負った。90年コセクィンではアイルランド界武装団体であるアイルランド共和軍(IRA)が主導した車両爆弾テロで5人の英国軍が亡くなった。IRAは英国軍に協力した「反逆者」家族を人質として捕まえ、その反逆者に450キログラムの爆発物を積んだ車両を英国軍哨所に向かって突進させた。

テロがテロを呼ぶ血の悪循環は98年合意した「グッドフライデー(Good Friday)協定」で終息の転機を迎えた。そして、2006年締結された「セントアンドルーズ協定」で本格的な履行段階に入った。アイルランドと北アイルランドの間の境界を崩したのは超人的な忍耐によって進められた平和プロセスの実りだ。しかし、英国の欧州連合(EU)離脱、すなわち「Brexit(ブレクジット)」の決定で北アイルランドの平和は重大な挑戦に直面した。ブレクジットはEUに猶予した英国の主権回復、すなわち国境統制と関税障壁の回復を意味する。英国領である北アイルランドとEU加盟国であるアイルランドとの間に再び「かたい国境(hard border)」が再建される可能性があるという意味だ。検問所と税関、軍人の哨所が国境を監視して統制していた平和協定以前の状態に回帰する可能性があるということだ。


【コラム】北アイルランドから見た韓半島危機(2)

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