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太極旗と日章旗の間の悲しいファイター、秋成勲

2008.01.27 11:00
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彼の名前には‘山’という境界がある。 韓国では秋成勲(チュ・ソンフン)と、日本では秋山成勲と呼ばれる。 ‘山’は33歳の男、秋成勲を2つに分けた。 どこにも根を下ろすことのできない運命だ。 日本で‘在日’と呼ばれる在日同胞は、差別から自分を守るためによく国籍を隠す。 秋成勲は国籍を変える過程で周囲が騒がしく、また運もなかったため、日本で‘公敵’として認識されることになった。 ‘悲運の柔道スター’という言葉は時間が経つほど痛々しく聞こえてくる。 異種格闘技K-1のリングに立つ秋成勲の柔道着の右腕には太極旗(テグッキ、韓国の国旗)が、左腕には日章旗が付いている。 しかし彼は日本国籍を持った韓国人にも、韓国の血が流れる日本人にもならなかった。



 
▽日本の秋成勲

K-1 HERO’Sチャンピオンの秋成勲は昨年12月31日の「やれんのか! 大晦日!」で、PRIDEウェルター級チャンピオンの三崎和雄と対戦した。 秋成勲は左フックを浴びて倒れ、立ち上がろうとした瞬間、サッカーボールキックを受けてKO負けした。

その後、惨めな敗北よりも辛い屈辱が待っていた。 鼻骨が折れて流血しながらも、秋成勲は勝利を祝うあいさつをしに行った。 一方の三崎は秋成勲を前に立たせて訓戒をした。 1年前の桜庭和志との試合を持ち出し、敗者の霊魂までも踏みにじった。

「お前は子供たちとファンをだました。 これからはファンに謝罪する気持ちで戦え」。

さらに三崎は観客席に向かって「柔道は最高だ。 日本人は強い」と叫んだ。 「柔道は最高だ。 韓国人は強い」と叫んだ秋成勲の勝利セレモニーを真似て皮肉ったのだ。

さいたまアリーナは歓声に包まれた。 2人の試合はK-1チャンピオンとPRIDEチャンピオンの対戦ではなかった。 けんか屋と侍、在日と日本人の決闘だった。 最初から一方的に三崎を応援していた日本のファンは、血を流して倒れた秋山、いや秋成勲に非情な揶揄を飛ばした。

秋成勲がサッカーボールキックを浴びた時、彼の両手と両足はマットについていた。 専門用語で‘4点ポジション’だ。 「やれんのか!」では4点ポジションの相手の顔を蹴るのは反則だ。 しかし秋成勲は抗議さえもできなかった。 彼は半月後に抗議書を提出し、無効試合になった。 しかし日本の世論はすでに秋成勲を処罰した後だった。

生き様の込められた目、栗色の皮膚が張り裂くような筋肉。 間違いなく秋成勲は実力・スター性ともにトップクラスファイターだ。 しかし日本の格闘技ファンは彼を‘ヌルヌル野郎’‘反則の柔道王’‘反骨の柔道王’と呼ぶ。

▽韓国の秋山成勲

秋成勲は06年のK-1ダイナマイトで桜庭に第1ラウンドKO勝ちを収めた。 桜庭はタックルを試みたが、何度も失敗した。 桜庭は秋成勲の体が滑ると抗議したが、受け入れられなかった。 秋成勲は桜庭を倒し、‘105連発’パンチを放った。

桜庭は試合後にも激しく抗議した。 たまたま秋成勲が試合前に保湿クリームを塗った場面をとらえたビデオが公開され、桜庭の主張が通った。 秋成勲は「反則とは知らなかった」と泣訴した。 本当に知らなかったのだ。 ビデオの画面の秋成勲は保湿クリームを塗った後、カメラに向かって「かっこいいだろ」とふざけた。

しかし彼を待っていったのは激しい‘逆風’だった。 桜庭は日本格闘技の英雄だ。 秋成勲は英雄を尊敬しない‘反骨’扱いを受けた。 試合は無効処理され、秋成勲は懲戒を受けて10カ月間リングに立つことができなかった。 ここだけは差別がないと信じていたリングの上でも孤独にさせられたのだ。

‘捨てられる…’。 秋成勲にとって初めてのことではない。 在日同胞4世の彼は日本の大学柔道選手権で3連覇したが、韓国国籍という理由で日本代表にはなれなかった。 日本は彼に帰化を要求した。

秋成勲の父チュ・ケイさんは「韓国柔道を学べば韓日両国で通用する」と勧めた。 父の言うとおりに98年、故国の土を踏んだ秋成勲は、すぐに81キロ級の最強者になった。 01年アジア選手権大会では全試合を一本勝ちで飾り、金メダルを獲得した。

しかし秋成勲は普段から‘山’に阻まれていた。 優勢な試合をしても判定で負けるケースが目立った。 彼には‘実力ほど重要’といわれる柔道の名門・竜仁(ヨンイン)大学の卒業証書がなかった。 秋成勲が積極的に戦って一本勝ちを狙っていたのも、判定になれば勝てないという強迫観念のためだった。秋成勲は「韓国は実力の世界でない。 日本でやる」と言って韓国を離れた。 秋成勲は01年末、日本に帰化した。

▽祖国はどこか

彼は日本へ帰って3カ月後に日章旗を付けた。 02年釜山(プサン)アジア競技大会で秋成勲は秋山として紹介された。 決勝戦の相手は皮肉にも韓国のアン・ドンジン。 秋成勲が2-1で判定勝ちすると、試合場は揶揄の声に包まれた。 あるスポーツ紙は「祖国をたたきつけた」という刺激的な見出しをつけた。

秋成勲の祖国はどこか。 彼は自分の祖国をリングの上に探そうとしたのかもしれない。 実力だけが通用する世界、国籍を越えた勝負を競える場所。 秋成勲は04年に柔道界を引退し、異種格闘技K-1に入門した。 打撃でも優れた素質を見せ、わずか2年で特級ファイターに成長した。

しかし‘クリーム事件’が秋成勲の‘不安定な根’をじゅうりんした。 ‘実力がすべて’と信じた秋成勲はあまりにも純粋だった。 異種格闘技でも実力だけではいかなかった。 秋成勲がまた桜庭を破り、三崎との再戦で勝利したとしても、変わることはない。

秋成勲は韓国人としても日本人としても生きていくのが難しい。

格闘技の関係者らは秋成勲が‘独り’であることを憂慮している。 日本選手のように桜庭または三崎師団に合流していれば、これほどまで‘いじめ’は受けなかったはずだと惜しんでいる。 在日同胞野球スターの清原和広(オリックス)だけが秋成勲の唯一の友人だ。

秋成勲は頭を下げたり、日本選手と交わったりしない。 その彼がずっと自分のやり方で生きていきたいなら、行くべきところは米国格闘技団体のUFCだけかもしれない。 第3の道。 しかしやはり険しい道だ。 最高レベルの激闘家が集まるUFCで生き残るのは容易でない。

崔仁勲(チェ・インフン)の小説「広場」の主人公イ・ミョンジュンは、韓国でも北朝鮮でもない第3国へ出発するが、船が目的地に着く前に海に飛び込んでしまった。 秋成勲は日本人でも韓国人でもない自然人として生きることを夢見た。 しかし「やれんのか!」は、秋成勲の考えが幻想であることを示した。 彼は今、永遠の境界人として生きるしかない自分の運命を受け入れるための訓練を続けているかもしれない。

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