주요 기사 바로가기

韓国戦争参戦者「まだ銃を撃てる、戦争になればまた来る」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.26 15:17
0
韓国にいた期間は4カ月にもならないが、生涯、韓国を愛する米国人がいる。報勲処の海外韓国戦争(朝鮮戦争)参戦者招請行事で22-27日に韓国を訪問したジン・ポール・ホワイトさん(90)だ。

ホワイトさんは韓国戦争当時、米海兵第1師団所属の兵長として参戦した。1950年9月15日の仁川(インチョン)上陸作戦に投入されてソウルを奪還したが、議政府(ウィジョンブ)で負傷した。日本で治療を受けたホワイトさんは戦友が同年11月に咸鏡南道長津湖(チャンジンホ)付近で中国共産軍に苦戦しているという話を聞くと、原隊復帰を要請し、輸送機に乗って戦場に戻った。

 
ホワイトさんは「160人いた中隊員が30人に減っていた」と振り返った。ホワイトさんは長津湖戦闘での凍傷のため同年12月に本国に送られ、韓国を離れることになった。

ホワイトさんは「1999年に報勲処の招請で韓国を訪問した。毎回、韓国の発展に驚く」とし「この国を守るのに私が寄与したということを誇りに思う」と述べた。続いて「韓国戦争で私がもっと頑張って戦っていれば、韓国はいま統一していたかもしれない。韓国国民に本当に申し訳ない」とも語った。

1975年に中佐として予備役に編入されたホワイトさんは不動産事業をしながら、米国内の長津湖(チャンジンホ)戦闘参戦者で構成された「Chosin Few(長津湖戦闘で生存した少数)」の活動をした。長津を日本語で表記しているが、当時の米軍は韓国語の地図がなく日本語の地図を使用したからだ。

ホワイトさんは「かつて8000人ほどいた会員が今では1200人に減った。主な業務の一つが会員の葬儀への出席」と伝えた。

ホワイトさんは25日、大韓民国武功受勲者会が主管する「長津湖戦闘英雄追悼式」に出席し、戦友の慰霊をした。ホワイトさんは「韓国戦争のようなことが発生すればまた駆けつける」とし「私はまだ銃を撃つことができる。米海兵隊が私の再入隊を受け入れないだろうが、それでも韓国を助けたい」と語った。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    포토뷰어

    韓国戦争参戦者「まだ銃を撃てる、戦争になればまた来る」

    2017.10.26 15:17
    뉴스 메뉴 보기
    ジン・ポール・ホワイトさん(90)が25日、ソウル龍山(ヨンサン)戦争記念館で戦死した戦友の名前を探している。
    TOP