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安倍首相の歴史挑発に、松陰の影がちらつく(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.20 18:06
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長州の成就は、私を憎しみと虚脱感へと近づける。長州の人脈は韓半島(朝鮮半島)の掌握に大挙して登場する。2代統監の曽根荒助、2代総督の長谷川好道も長州出身だ。朝鮮駐在公使の井上馨は伊藤博文の萩の友人だ。後任公使の三浦梧楼は長州の陸軍中将出身だ。彼は明成(ミョンソン)皇后殺害の主導者だ。

征韓論は松陰の外征構想だ。彼の著書『幽囚録』に含まれている。初めての監獄生活の時(25歳)に書いた本だ。

 
「北海道を開拓し、沖縄(当時は琉球)を日本の領土に、朝鮮を属国化して、北で満州占領、南で台湾、フィリピン、ルソン一帯を掌握する」。「列強と交易で失った国富と土地を、朝鮮と満州から補償されなければならない」。松陰の韓国軽蔑は傲慢と野心だ。

松陰の外征論は『日本書紀』から出発する。神功皇后の三韓征伐、任那日本部を含んでいる。わい曲と誇張、虚構と仮説だ。彼は『日本書紀』に心酔していた。彼の外征論は国家アジェンダとなる。帝国主義の膨張と侵略の理論だ。大東亜共栄論へと拡張される。長州の後輩の学者は松陰の構想を実践する。征韓論を企て、陰謀した。長州は韓半島蹂躪(じゅうりん)の基地となる。

征韓論は日本の地政学的な本能だ。松陰だけの作品ではない。壬辰倭乱は、征韓論の失敗した企てだった。福沢諭吉(1835~1901)はその時代の啓蒙思想家だ。彼の脱亜論は、征韓論の我流だ。その本能をどのように鎮められるのだろうか。韓国の富国強兵だけだ。リーダーシップのビジョンと歴史的想像力、国民の知恵が後押しされなければならない。

◆松陰を知ってこそ日本が分かる

山口の歴史は不便だ。深々と近付くほど、不満と怒りで構成される。長州は韓半島の渡来人がたくさん暮らしていた場所だという。数奇な縁が悪縁になった。力説として作用した世間の歴史だ。

松陰神社の隣に旧伊藤邸がある。あばら家だ。彼の低い出身を察する。伊藤博文の像が立っている。そのそばには東京で住んでいた家も移築されている。その家に遺物・写真が簡単に展示されている。安重根義士の義挙(1909年)で死ぬ時までの記録物だ。

その時代、伊藤を凌駕した人物は多かった。大乱の悲劇は、若死と非業の死だ。坂本龍馬(1835~67)は土佐藩出身だ(今の高知県)。龍馬は幕府打倒の決定的な契機を用意した。薩長同盟を結ばせた。龍馬は暗殺される。

維新の3傑も倒れた。西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允。西郷と大久保は薩摩の出身だ。1877~78年の西南戦争で敗北・自決、刺客暗殺(大久保)、病死(木戸)で退場する。大村益太郎は日本陸軍の基礎を作った。大村も長州出身だ。刺客に襲われた。

伊藤はその空白を占める。権力独走の幸運だ。西郷の死後、陸軍は長州、海軍は薩摩が掌握する。山縣は長州軍閥時代を切り開いた。山縣は長く生きた(84歳)。軍部と内閣で彼の影響力は絶頂に達した。

萩は100年前からそのままだという。幕府時代の古地図が通用する。城下町はほとんど変わらないのだ。萩焼は代表的な観光商品だ。萩で焼くようになった朝鮮井戸茶碗だ。その由来は壬辰倭乱の時に連れてこられた朝鮮の陶工たちだ。

松陰と萩の感想は、二重だ。興味と反感の連続だった。松陰の精巧な教育が、脳裏に打ち込まれる。「飛耳長目(遠くのことを聞き分け、見通せる目)」。彼は弟子に情報マインドを注入した。そして師匠と弟子が情報を共有した。共有された情報は、付加価値を高める。情報は大乱の時代を先行獲得していった。甲午年、東北アジアはその時代のように揺れ動いている。情報は力だ。

日本を知らなければならない。松陰と山口は、日本近代史の源流だ。安倍首相が主導する国粋主義右翼の解剖の土台だ。歴史の「知彼知己」が切実だ。真実と論理になじまなければならない。警戒のためだけではない。日本との親善を強化するためだ。それは真の友好の基盤だ。

パク・ポギュン論説委員


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    2014.01.20 18:06
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    ②③明治維新の文武を掌握した伊藤博文・山縣有明像。萩市の旧伊藤邸と中央公園にそれぞれある。④昨年8月「松陰神社」に参拝する安倍晋三首相。⑤松下村塾に関わった門下生の写真。明治維新の主役たちで埋まっている。
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