<慰安婦生存者13人証言>おばあさんの韓服(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.25 10:33
1945年に戦争が終わり慰安婦生活も終わったが、人生は容易でなかった。家に戻った娘を見た母親は失神した。「みすぼらしい姿が言葉にならなかったのだろう。私が家に戻って『お母さん!』と呼ぶと、お母さんはとても驚いて『お前は人か幽霊か?』とそのまま気絶した」。結婚は夢見ることもできなかった。「良心があれば嫁には行けない。家族にも、自分がされたことを話せなかった」。
代わりに一生懸命に働いた。大邱の酒場従業員、蔚山(ウルサン)の海水浴場の商人、屋台の社長、保険販売員としても働いた。「1人娘がお嫁にも行けずに生きている」と言って胸を痛める親の前でできることは、ただ生き延びることだけだった。