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ナム・ジョンホニューヨーク特派員 |
米国ニューヨークに住んでみるとたびたび新鮮な衝撃を味わうことがある。最近、若者の通りイーストビレッジで経験したことだ。ひと仕事終えてお茶でも飲もうと黒い看板が印象的な飲食店に入った。“The Smith”(ザ・スミス)のメニューには、ニューヨークステーキ、キノコのラビオリ、地中海式サラダなどがあった。名前からインテリアまで、どれを見ても周辺のニューヨーク大生が好きそうなおしゃれな米国式レストランだった。そこでふと、メニューに予想もしていなかった料理が目に飛び込んでくるではないか。“Vegetable Bibibap”まさに野菜ビビンパだった。レストランのマネジャーは「創業者が選んだメニューで、お客の間で非常に人気がある」と話した。
最近、料理など韓国文化が米国主流社会に定着しようとする姿をあちこちで見る。昨年、ニューヨークタイムズが“ベストニューレストラン”に挙げたのがポッサム(豚肉などを菜で包んで食べる料理)専門店“Momofuku Noodle Bar”だった。ニューヨークの一流菜食レストランとして常に挙がるのが韓国式食堂“ハンガウィ”だ。この新聞が昨年、韓国料理特集記事を掲載したことがある。それとともに「ほかのオリエント料理よりよく知られてはいないが、だんだんファンが増えている」と評した。
ニューヨークのマンハッタンには雅という日本食レストランがある。メニューが一切なく、出されたものを食べなければならない。米国でもっとも高いレストランで、安いランチメニューが1人350ドル、ディナーは500ドルだ。その次に高いというフレンチのアラン・デュカスで一食あたり200ドル程度だから2位より2倍も高いといえる。このようにいまや日本食が最高級という扱いを受けるが、1960、70年代には軽蔑の対象だった。64年の東京オリンピックが開かれたころは、週刊誌タイム(Time)には「生の魚を食べる野蛮な日本で、どうしてオリンピックを開催できるのか?」という記事が掲載されるほどだった。そして80年代に日本食が健康に良いという認識が広がって、嫌われていた料理の“寿司”はたちまちヘルシーフードに化けた。