生きよう、生きようと…大震災の残骸が話しかける
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.30 11:35
自然は容赦なかった。そんなそぶりを見せずにいて、打ち下ろす時は凄じかった。2011月3月11日に日本の東日本地域を襲った大地震と津波は、傲慢な人類に自然が送った警告としては、あまりにも苛酷だった。犠牲者2万人、いまだに続く原子力発電所の恐怖は、日本列島を長く回復できない泥沼に陥れた。傷があまりにも大きく気を落とした日本人たちは、再び日常に戻ってお互いを励まし合った。「今できることをしよう」と。
設置美術家の青野文昭氏(46)は、芸術家としてできることをした。「地震のために全てがめちゃくちゃになった人生を、それにもかかわらず生き延びなければならない者」として、彼は亡くなった人々を記憶することにした。大きな被害を受けた宮城県仙台市に作業場があった彼は、地震現場に散在している大災難の残骸を涙の中でかき集めた。その採集過程は一瞬にして崩れ去ってしまった1人ひとりの人生を、彫刻ではあるが生き返らせることだった。つぶれて壊れたその物は、彼が息を吹き込んで芸術作品となった。残骸の転生だった。
ソウル昭格洞(ソギョクドン)のアラリオギャラリーで開かれている青野氏の初の韓国での個展「転生、津波の記憶」は、芸術が時に癒しの過程になりうることを見せてくれる。災難に巻き込まれた人々がいなくなった後に、その場を守っているモノたちは、話さない証人だ。部屋の床材・ペットボトル・タイル・電話機・靴などを1つひとつ収拾して磨き上げて復元した作品は、苦痛を耐え忍ぶ力を持つ。