【時論】人材がいないのではなく、探せない=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.16 13:58
人材を探すのが大変で、再びその人を使うべきだとの無責任な発言を聞きながら、茶山の人材登用についての議論が思い浮かんだ。「人材を得にくくなって久しい。全国から立派な英才を抜てきしても、むしろ不足するのでないかと心配だが、我慢して8~9割の人を捨てなければならない。全国民を全て集めて培養しても振興させられないのではないかと心配し、我慢して8~9割を捨てるということなのか。一般国民は捨てられた人々で、中人(朝鮮時代、貴族の両班よりは下で平民よりも上の階級層)たちはその中で捨てられた人々。平安道(ピョンアンド)と咸鏡道(ハムギョンド)の人が捨てられた人で、黄海道(ファンヘド)・開城(ケソン)・江華島(カンファド)の人々もその中に捨てられた人々だ。江原道(カンウォンド)と全羅道(チョルラド)の半分は捨てられ、庶子(両班の妾の子供)たちが捨てられ、北人や南人は捨てたわけではないが捨てられたも同然だ……(「通塞議」より)。
身分や地域を差別して、国民の大部分を捨てておきながら人材を探すという当時の行き詰まった社会を批判した茶山の文は鋭い。今日、韓国の現実は茶山のその批判をそのまま引用しても何一つ外れる部分はない。国家高位公職者の序列10位圏から8位までが慶尚南道(キョンサンナムド)・釜山(プサン)が独占して他地域の8~9割は捨てられた計算なのに、どこからちゃんとした人材を探せるというのだろうか。江原道(カンウォンド)や全羅道(チョルラド)は人口も少ないが、ソウルや京畿の広大な地域は、なぜ捨てられなければならないのか。野党や進歩側は最初から捨てているので言う言葉もない。