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【コラム】朴大統領の「統一大チャンス」に込められた意味(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.11 17:23
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法王の訪韓こそ、天主教徒にとっては2世紀ごしの夢、大舶ではないだろうか。兵や大砲ではなく競争に疲れた私たちの心の倉庫に金銀の財宝を満たす庶民の友、平民の友人であるためだ。彼はつらい現実に聖霊と祝福が臨む救いのメッセージ、すべての宗教と相通じる仙語を投げかけるのにひたすら身近な世紀の大人だ。「貧困と相対して戦いなさい。不平等に無感覚な社会には、決して平和と幸福は来ない」。とうとうたる資本の波に小舟のように揺れながら、誰がこのように話せるだろうか。ダボスフォーラムの指導者に貧しい国を忘れないでくれと言った。この訓戒でこそ尹至忠をはじめとする123人の福者たちの切実な夢、いやすべての宗教家の夢、大舶来船ではないだろうか。

沙南基の近くの丘に立つ天主教学校誠心女子高と西江(ソガン)大学校を卒業した朴槿恵(パク・クネ)大統領が法王の訪韓について持つ感慨は格別だろう。殉教者の列福式は厳正な身分社会で公役に踏み付けられた平民たちを「弟(妹)の血縁」のように対応して、ヒューマニズムと相互扶助で人類愛を目指したその精神を時代の座標にしろとの意だ。3人の母娘の自殺、2人の母子の投身、40・50代の家長の空しい転落、生計に苦しむ高齢者の悲嘆が続出する社会を放っておかないということが、大舶来船の切なる現代的メッセージだ。

 
朴槿恵大統領が火をつけた「統一大チャンス論」には、まさにこのような意が含まれているだろう。一攫千金を狙う者がロトに当選するようにギャンブラーにジャックポット(大当たり)がさく烈すれば、統一大チャンス論は開発時代の毒きのこのように広がった成金の雲をつかむような財物論と何が違うだろうか。大チャンスは機会であり責任なのだから、理念を超越した有無相資(お金や知識を持つ者・持たざる者が互いに助け合う)の精神で窮乏した北朝鮮の現実をおさめて民族共同体を収拾するのには負担が伴う。大チャンス論は負担論であり責任論だ。天主教徒は命を捨てることを拒まなかった。法王の言葉通り、羊飼いに羊の臭いがしみついているように、飢えた北側の人を血縁の情で包容する準備をしてこそ真の大チャンスなのだ。ちょうどフランシスコ法王が8月15日を前後して統一祈願ミサを執典するというと、1つの韓半島に向けた民族的大チャンス請願になるかもしれない。「統一来鮮」、その大チャンスはある明け方、突然に訪れる。

ソン・ホグン ソウル大学教授(社会学)


【コラム】朴大統領の「統一大チャンス」に込められた意味(1)

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