水底1000メートルで窒息死・圧死…日本軍艦島は「地獄島」そのもの(1)

水底1000メートルで窒息死・圧死…日本軍艦島は「地獄島」そのもの(1)

2017年07月03日13時47分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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長崎港の近海に位置した軍艦島(端島)。(写真=中央フォト)
  独島(ドクト、日本名・竹島)・東海(トンへ、日本名・日本海)の広報の旗振り役を務めている徐敬徳(ソ・ギョンドク)誠信(ソンシン)女子大教授(43)は5日、軍艦島に関する映像広告を米国ニューヨークのタイムズスクエア電光掲示板に掲載する予定だ。5日は軍艦島が国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に登録されてから2年目になる日だ。15秒の広告には「世界文化遺産に登録された日本・端島は韓国人強制徴用者が100人以上死んでいった地獄島」という内容が入っている。

  今月末に公開されるリュ・スンワン監督の映画『軍艦島』も「地獄島」と呼ばれた軍艦島から脱出を試みる韓国人徴用者の物語を描いている。これに先立ち、2月に極右指向の産経新聞は「ねつ造された映画」と批判する記事を載せ、リュ監督は「歴史的事実に基づいた映画」と反論した。同島をめぐり、なぜ日本は「産業化の遺産」として、韓国は侵略被害の象徴として記憶しているのだろうか。

  軍艦島と呼ばれている端島は、長崎港から南西に約18キロ離れたところにある。南北に480メートル、東西に160メートル、周囲1.2キロという小さな島で、6回にわたった埋立工事を通じて3倍程度に大きくなった。

  無人島だったこの島から1810年に石炭が発見されると、1890年に日本の産業化を主導した三菱が島を買いとった。海底炭鉱開発が本格化して島全体が日本を代表する近代的産業施設に変貌した。

  狭い島に多くの人を収容するため、日本初の鉄筋コンクリート構造のアパートが建設された。この過程で島の外観が日本の軍艦『土佐』に似ているということで軍艦島と呼ばれるようになった。敗戦直前の1945年ごろには約5000人が住んでいた。

  海水面下1000メートルの海底炭鉱から採掘された石炭の品質は非常に良質だった。1810年に初めて石炭が発見されてから1974年廃鉱するまで、燃料用石炭と製鉄用原料炭1570万トンを供給した。日本が軍艦島を「造船や製鉄・製鋼の分野の面で日本の近代化に大きく貢献した」(長崎市広報ホームページ)と評価する理由だ。

  軍艦島はしかし、韓国・中国など周辺国には帝国主義と強制徴用の記憶として残っている。朝鮮を侵奪して植民地とした日本は、世界大恐慌(1929年)に見舞われ、その「脱出口」として侵略と戦争を選んだ。

  満州事変(1931)・日中戦争(1937)で戦争を拡大した日本は1938年「国家総動員法」を制定・公布した。戦争に必要な資源の強制徴発を可能にしたこの法を通じて、日本は植民地だった韓国から人的・物的資源を確保した。志願兵制・徴兵制を導入して韓国の青年を戦場に連れていき、国民徴用令を通じて戦争施設の建設にも動員させた。また、女性を連れて行って「日本軍慰安婦」として性的奴隷生活を強要した。

  日本側の資料によると、1939年から45年3月まで日本・サハリン・南洋群島などに強制動員された韓国人は72万人余りに達する。徴用された人々は主に作業環境が劣悪な炭鉱・建設現場・工場の職に従事していた。韓国人徴用者らは日本人の半分も及ばない4ウォン以下の賃金を受け取り、それさえも本人は手も付けられないまま「強制貯蓄」とされた。

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