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【寄稿】絵画鑑定、100%確信できない…画家本人の意見も絶対ではない=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.07.04 09:25
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だからと言って画家本人の意見が絶対的なものではない。一般的に画家の意見を尊重するというが、これは作家に対する礼遇レベルの話であって、実際の鑑定ではさまざまな意見の一つとして扱われる。その理由は画家も自身の絵画を見分けられない場合が往々にしてあるためだ。

オランダの画家カレル・アペル氏は、自身の絵画を偽作したヘルト・ヤン・ヤンセン氏の絵を自分のものだと自信を持って二度も恥をかいた。国内では亡くなった重鎮作家Y氏が鑑定家が「真作」だと結論を出した自身の作品を「贋作」と主張して法廷攻防にまで発展した。Y氏は外部の専門家に依頼して偽作であることを証明する科学的分析結果まで添付して偽物であることを主張したが、蓋を開けてみると自身の個人展図録に載っている作品だった。裁判所はこれを根拠に「真作」結論を下した。つまり、作家本人も、科学的な分析資料も、鑑定家も完ぺきではないということだ。

 
美術品の鑑定は作品の芸術的価値を判断する行為で、真贋はその過程の一つだ。また、真贋はできるだけ真実に近い推定をすることであって100%確言できる領域でない。初めから最後まで、絵を描くところを見ていた第3者がいるのなら話は別だが、事実「神」のみぞ知る領域だ。疑おうとすれば美術館に関わっているすべての絵画が「100%本物」とどこの誰が断言できるだろうか。

ニセ札感知器のように絵画に近づければ真贋を教えてくれる科学機器でもあれば良いが、実際、鑑定は科学領域の向こう側にある。そのうえ、結論は各自の判断と信頼によって誰の言葉を信じるかにかかっている。美術品鑑定が難しい理由だ。鑑定と贋作根絶の目標は国民と作家を保護するためのものだ。作家は「真作」、警察は「贋作」と言いながら作家が贋作事件の「被害者」でなく「被疑者」になってしまった現状がただ残念でならない。

チョン・ジュンモ美術批評家・元国立現代美術館学芸室長)


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