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【コラム】旧朝鮮総督府の建物、「歴史の傷跡」であることを(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.05.17 16:41
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ドイツは第2次世界大戦で敗戦して苛酷な痛みを体験した。だが、それは戦争を起こしたドイツが自ら招いたものだ。要するにドイツは戦争の被害者でもなく、帝国主義が極めて旺盛だった時代でもなかった。だから彼が傷ついた私たちの歴史の痛みを理解できないのは、もしかしたら当然なのかもしれないという気がした。

旧総督府建物の撤去をめぐって当時の国内世論は猛烈に二分化した。恥ずかしい歴史も歴史だとか、子孫がしっかり保存しなければならないという一部の政界と学界の反論も侮れなかった。総督府建物の撤去に不純な政治的意図があるという批判も起こった。さらにある著名人の夫妻はこの問題のために離婚の危機に直面したりもしたという。夫が撤去を主導した政府の重責を引き受けるなら妻が離婚すると強く脅迫したといったほどで、韓国社会が総督府建物の撤去をめぐりどれほど激しく対立したか如実に物語るエピソードに違いない。

 
朝鮮総督府の建物問題に関して筆者は、日本の帝国主義の蛮行に改めて歯ぎしりするほかはない。朝鮮を武力で強奪した日帝は、なぜよりによって総督府庁舎を景福宮(キョンボックン)のすぐ目の前に建てたのだろうか。建てる場所がなかったからか。決してそうではない。それはほかでもない私たちの民族の魂を抹殺するためだった。

特に17世紀に作ったベルサイユ宮殿よりもはるか以前に、中国の紫禁城よりも25年先立つ1395年に建設した私たちの景福宮の歴史性を考えれば一層みじめさを禁じ得ない。

それでも足りなくて日帝は都市の機能化・現代化という美名のもとに昌慶宮(チャンギョングン)と宗廟殿(チョンミョジョン)を広い道路で分け隔てた。その上その広い「新作路」が敦化門(ドンファムン)前をちょうど過ぎ去るようにして私たちの文化遺跡をちりぢりに引き裂き、さらには昌慶宮の格を下げるために動物園を入れて名前まで昌慶苑に変えた。

朝鮮総督府建物の撤去を韓国の主な文化遺産である景福宮の復元という視点から見れば、美術史的なレベルを軽く跳び越える意味があると思われる。侵略国が残した「歴史的な傷跡」だからこそ一層そうなのである。

イ・ソンナク韓国現代美術館会会長


【コラム】旧朝鮮総督府の验物、「歴史の傷跡」であることを(1)

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