北朝鮮の権力の前面に登場した張成沢の目立つ開放性向

北朝鮮の権力の前面に登場した張成沢の目立つ開放性向

2011年12月26日14時06分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
comment
0
share
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixi
  北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)の叔母の夫・張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長が注目される理由は、彼の改革・開放性向のためだ。

  張成沢は02年10月26日、北朝鮮経済視察団(団長、朴南基当時国家計画委員会委員長ら18人)の一員として8泊9日間の日程でソウルを訪問した。北朝鮮が7・1経済管理改善措置など改革・開放ドライブをかけた当時だった。

  労働党組織指導部第1副部長だった張成沢は、サムスン電子、コエックスモール、地方工場などを視察し、ソウルの地下鉄やカラオケも経験した。当時、張成沢を見た韓国人は、張成沢が韓国開発研究院(KDI)にも関心を表すなど、韓国経済の発展に深い関心を見せたという。張成沢が新義州(シンウィジュ)行政特区に関し、韓国政府に特区責任者として金宇中(キム・ウジュン)元大宇(デウ)会長を送ってほしいと要求したという話もある。

  曺東昊(チョ・ドンホ)梨花女子大教授(政治学)は「02年経済視察団の実質的団長は張成沢であったし、その視察団が改革・開放を準備する人たちではなかったかと思う」とし「張成沢は北朝鮮がどうすれば生きられるか分かっている人物で、今後、北朝鮮が安定すれば改革・開放に出てくる推進体の役割をする可能性もある」と述べた。

  しかし張成沢は03年7月に北朝鮮メディアから消えた。06年1月に党勤労団体および首都建設部第1副部長に復帰するまで、2年間は地方に流され、いわゆる‘革命化’過程を経たという。ハン・ギボム統一研究院客員研究委員は「張成沢に力が過度に傾き、分派主義と見て金正日(キム・ジョンイル)が牽制した」と分析した。

  ソウルを訪問した当時、「資本主義文化を味わおう」と言って高級クラブに行ったのが理由という話もある。鄭東泳(チョン・ドンヨン)議員は「05年に平壌(ピョンヤン)を訪問した時、張成沢の安否を尋ねると、金正日は『南側に行って爆弾酒(混ぜ酒)も学び、体を悪くして休ませた』と言って笑った」と明らかにしたことがある。

  06年の張成沢の復権には夫人・金敬姫(キム・ギョンヒ)の役割が大きかった。当時、2人は性格の違いなどでほとんど別居状態になっていたが、「権力維持のための同盟」次元でお互い支え合ったと解釈されている。2人は金日成(キム・イルソン)総合大学政治経済学科で会った。

  金日成は金敬姫に対して‘親バカ’といえるほど格別の愛情を見せてきたという。金敬姫のわがままもすべて受け入れたという。金敬姫は一時、ウイスキーをワインのように飲むなどアルコール中毒にもなっている。

  金正日も金敬姫を支えた。脳卒中後、軍隊の経験がない金敬姫に大将の称号を与え、張成沢を昇進させ、本人の死去後は若い息子の後見人とした。金敬姫は‘金日成の娘’として誰も無視できない権威を持っているだけでなく、幼い頃から多くの権力闘争を目撃してきたため、金正恩を守れると考えたということだ。

  金敬姫は性格がやや気難しいが、情も多いという。金正日(キム・ジョンイル)と2人目の夫人・成恵琳(ソン・ヘリム、1937-2002年)の間で金正男(キム・ジョンナム)が生まれた時、これが父・金日成の耳に入らないようにしたのも、金正日が4人目の夫人・高英姫(コ・ヨンヒ、1953-2004年)にほれて成恵琳をモスクワに送ったのも、金敬姫と知られている。

  専門家らは、張成沢・金敬姫夫婦が金正恩サポートに力を注ぎながら、同時に自らの権力を固めるのに注力する、と見ている。
【今日の感想】この記事を読んで・・・
興味深い
悲しい
すっきり
腹立つ
役に立つ

今日のイチオシ記事