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【コラム】平昌五輪開会式の人面鳥と「韓国的」なものについて

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.19 16:01
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平昌(ピョンチャン)オリンピック(五輪)開会式のスターになった人面鳥。米国ABCニュースは「変で怖いという評と、面白くてユニークな魅力があるという評が交錯する中、隣国の日本で意外な注目を浴びてネットユーザーが各種パロディを作り出すほど」と報じた。人面鳥に対する反応は私の知人の間でも賛否両論ある。「このようなイベントにはインパクトのあるユニークな“一発”が必要だが、人面鳥がそれをやってのけた」「中毒性ある」という意見から、「韓国の文化ではあるが、私たち自身にもなじみが薄いうえに奇怪だ」という意見まで。

ところで、私は人面鳥が高句麗古墳壁画の忠実な再現というものをそこまで知る前から、その奇異な姿が気に入っていた。もともと神話伝説やファンタジー映画のファンだからそうなのかもしれない。特に『三国遺事』の神秘な物語や古代中国の怪獣百科事典『山海経』が好きなので、人面鳥の「なじみが薄く奇怪な」イメージに拒否感はなかった。

 
朝鮮時代の強力な儒教が「怪力乱神」を口にするのをダブーとしてきたため、韓国文化から幻想的で奇怪なことは次第に姿を消えた。さらに私たちはこういうものが「韓国的」ではないと考える。しかし、高句麗古墳壁画や百済金銅大香炉に人面鳥や半人半獣が登場していることからもうかがい知ることができるように、これらは韓国文化にも明らかに存在した。このようなものをもっと発掘して、私たちが「韓国的」と考えるものの範囲が偏狭にならないようにしなければならない。

むしろ、すでに多く登場した「韓国的」モチーフを乱発することが問題だ。月壷聖火台がそのような面で残念だった。「白衣民族、雪の祭典とよく合っている」という好評ももちろんある。しかし、月壷は美学的に優しい潤いを湛えた月と水と結びつけたりもするが、そして火鉢や香炉のような伝統的な火の器もあるが、あえて月壷から炎が立ち上るようにするべきだったのだろうか。その上、美術史学者のチェ・スンウが称賛した月壷の丸い「円の寛容な趣き」が4本の柱で居心地悪そうに支えられて毀損されてしまった。「最も韓国的」という通念を活かそうとして月壷を聖火台に無理に据えたのではないかと思う。

韓国文化芸術のスペクトラムは私たちの通念よりもはるかに広い。既存の「韓国的」なことにしばられるのではなく、私たちが知らなかったことをもっと探し出さなくてはならない。奇怪なのも含めて、ということだ。「奇怪」は定形の亀裂であり、その隙間から想像力と新たな可能性が出現するためだ。

ムン・ソヨン/コリア中央デイリー文化部長

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