【コラム】世論操作事件は文在寅の正義を試している(2)

【コラム】世論操作事件は文在寅の正義を試している(2)

2018年04月23日15時59分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  ドゥルキングは逮捕される直前の3月14日、フェイスブックに「何の考えもない奴ら、お前ら2017年コメント部隊の真の背後が誰なのか知っているか? 本当に暴いてやろうか?」というコメントを載せた。それが誰か。昨年の大統領選挙の時、安哲秀(アン・チョルス)候補の支持率が文在寅(ムン・ジェイン)候補を抜くと「安候補を押している李明博(イ・ミョンバク)勢力が2012年の大統領選挙時のようにコメント機械を使っているから、我々が対応しなければならない」とメンバーを励ました人物だ。ドゥルキングが真実を語りだした瞬間、どんなことが起きるかは誰も分からない。

  2012年李明博政府の国家情報院コメント工作の主犯である元世勲(ウォン・セフン)元国家情報院長は起訴され、4年10カ月ぶりに懲役4年の実刑が確定した。その間、捜査陣は検察と警察事務室を家宅捜索し、国家情報院のサーバーを点検した。ところが今のコメント操作事件に対する警察捜査は亀の歩みだ。ドゥルキング一党の携帯電話170台中133台は犯罪証拠物だ。ところが分析もせずに検察に渡したところ、世間が騒々しくなると返却してもらう始末だ。権力の顔色伺いをした跡が歴然だ。

  文在寅大統領は就任の挨拶で「文在寅と共に民主党政府で、機会は平等になります。過程は公正になります。結果は正義に期します」と述べた。正義が欠乏した時代を生きてきた国民を慰め、感動を与えた名演説だった。ところがドゥルキング捜査は公正でもなく、正義が期されているわけでもない。文在寅の正義はドゥルキングの前に屈したのか。

  「受容の大家」であるドイツ哲学者ハーバーマスは、公論の場がうまく機能するためには話し手と聞き手が人格的に平等な関係を結ばなければならないと言った。ところがドゥルキングは酋長のように振る舞いながらコメント組織の新入会員に奴婢の身分を与えた。では操作されたコメントに振り回された人々はいったいどのような存在なのか。

  17世紀、フランス哲学者デカルトは「人間なら誰しも良識(bon sens)を備えている」と宣言した近代性(modernity)の父だ。個人を、理性を持った自律的主体に格上げし、近代の扉を大きく開いた。これで多数の意見が妥当になり、民主主義は衆愚政治という汚名を脱いで確かな道を歩むようになった。

  2018年の韓国はどうなのか。コメント勢力が作った仮想世界に閉じ込められ、誰も彼も自律的判断能力を失ったのが我々の自画像だ。デカルトが蘇ったら、操作されたコメントの奴隷になった韓国の公論の場と民主主義に破綻宣告を下していただろう。

  今、ドゥルキングは公正と正義を最優先価値に考える文在寅政府を試している。ここで「自分に甘く他人に厳しい」というダブルスタンダードを適用すれば、自分で自分を否定することになる。特検を受け入れて政権核心まで捜査して全貌を明らかにしなければならない。敵味方の区別なく、公論の場を破壊した者を厳しく断罪してこそ、手遅れになる前に民主主義を手に入れることができる。

  李夏慶(イ・ハギョン)/主筆

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