주요 기사 바로가기

<ネパール地震>30分が生死分けた…昼食とって日程遅れ「命拾い」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.04.30 13:22
0
「30分間の昼食が生死を分けた」。

ヒマラヤのトレッキング途中で地震に遭遇し、死ぬ間際だったところから脱出に成功したソウルメトロ山岳会員と家族ら韓国人14人の話だ。彼らがヒマラヤのランタン地域に向けて出発したのが16日。9日間の登はんを終えて25日午前10時半、トンチェというロッジ(山荘のある村)に到着した。ついでにバスに乗って下山しカトマンズで休息を取ろうという一行もあったが、女性一行6人が好きな洋食を一緒に楽しもうという意見があって昼食をとることにした。昼食を食べ始めたのは11時30分。そして12時頃に一行がバスに乗ったが突然バスが左右に揺れ動き始めた。村の下の道路には家よりも大きな岩があふれ、道路のアスファルトも音を出しながら裂けた。誰かが「早く降りて」と叫んだ。びっくり仰天した一行はバスから降りて山の上へと駆け出した。

 
階段状に作られた村の頂上には運動場のような平地があり避難用には最適だった。すぐにテントを張ってヒマラヤ難民生活が始まった。バスが通う山の麓のトリリス村までは70キロ。しかし山崩れで道路がなくなってしまった上に地震の恐怖から誰も行こうとはしなかった。救護様式で支給される豆ととうもろこしを食べ、村の店でネパールラーメンやネパール式の定食を購入して食事を解決した。ネパール在韓国大使館に数回電話して救助を要請したが「すぐに連絡する」という返事だけが来た。大使館の外交官4人がほかの韓国人の被害状況を把握するのに彼らまで面倒をみるには力不足ということであった。結局彼らは28日未明4時40分ごろに下山を始めた。流された道路を迂回して絶壁では互いにつかみ合いながら25キロを降りてくると、ダンプトラック1台が目に入った。幸いそこから道路は通行可能だった。トラックに乗って45キロを走りトリリスに到着してカトマンズ韓国人山岳会側が提供したバスに乗った。そしてこの日の夜カトマンズに無事に到着した。14時間半の脱出記が終わった瞬間だった。


<ネパール地震>30分が生死分けた…昼食とって日程遅れ「命拾い」(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP