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【時論】THAADと歴史の韻律=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.01.17 14:28
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「歴史それ自体が繰り返されることはない。ただし、韻律がある」。マーク・トウェインの言葉だと言われている。韓半島(朝鮮半島)と北東アジアの遠い未来にまで影響を及ぼすTHAAD(高高度ミサイル体系)配備、すなわちミサイル防衛網の構築論争は、約30年前にあった欧州の中距離核ミサイル撤収交渉と韻律を合わせることができるだろうか。

冷戦真っ最中だった1977年、ソ連は西ヨーロッパを狙ったSS-20等の中距離核ミサイルを西部地域に配備した。これに対応し、北大西洋条約機構(NATO)は米国のパーシングII等のミサイルを対応配備した。軍備拡張競争が悪化の一途をたどっていたとき、レーガン大統領は81年にソ連のミサイル撤去と米国のミサイル不配置を結びつけたいわゆる「ゼロ・オプション」交渉を提案した。

 
交渉は中断と再開という紆余曲折の末、開始から6年の87年に妥結した。世界各地に配備されていた米ソ両国の射程距離5500キロの間にあったすべてのミサイル撤去が91年に完了した。この事件は冷戦終息とドイツ統一に続く重要な道標となった。

当時、西ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)-自由民主党(FDP)の連立政権を成し遂げたコール首相とゲンシャー外相が、鋭く対立していた国内の賛否世論をうまく調整しながら米国とソ連の間で妥協を誘導しなかったら、この歴史的な合意は生まれえなかった可能性が高かったことから評価されている。

西ドイツは東西デタント(緊張緩和)を推進してこそドイツの未来があるという判断の下、当時ドイツに配置されていたパーシングミサイルの一部をまず撤収させ、妥協の呼び水として活用した。この過程で、ワシントンとモスクワのどちら側も決定的に失望させない外交力を発揮した。当時、すでに5年間の内相経験とと13年間の外相を務めていたゲンシャーの外交手腕を指して「ゲンシャリズム」とも呼ばれた。

今のTHAAD論争は当時の状況とは違いはあるものの全体構図はよく似ている。韓国が指向しなければならない目標は同じだ。韓半島から核兵器と運搬手段を取り除きつつ、南と北、そして米中の間のデタントを追求しなければならない。いま、北東アジアで韓日米と中露朝を軸とした軍備拡張競争の兆しが見え隠れしている。北朝鮮が中国の陰に出たり入ったりしながら核ミサイルを開発しているのは表立って見えている現象の一つだ。基本的には、米中が妥協してこそ解決の扉を開くことができる。その触媒役は、当時の西ドイツのように韓国が果たすべきだ。


【時論】THAADと歴史の韻律=韓国(2)

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