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【コラム】韓半島平和のための新しい枠組み(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.04.22 14:57
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韓半島は今、戦雲が漂う緊張の中で深刻な危機を迎えている。韓国戦争(1950-53)の銃声が止まった1953年7月27日以降60年間の南北対決構図は、解決の糸口を見いだせないまま危険レベルを高め、今日に至った。結局、戦争を予防する危機管理体制の効能が限界点に近づき、警報が鳴り始めたのだ。

このように戦争でもなく平和でもない中間地帯で不安と不安定に耐えながら60年間過ごしてきた韓民族はもちろん、韓半島の運命と利害が直結する関係国の忍耐力と持久力も、次第に限界に近づいている。歳月が流れるほど世界史の流れと地球村の発展過程から遠ざかり、絶体絶命の立場となった北朝鮮が、まず極端な行路を選ぶことは予期されていた。例外国家の道を選択した北朝鮮がその「例外性」を守るのに限界に達したことで、非常手段として赤旗を振っているのだ。

 
ケリー米国務長官の歴訪外交が、危険レベルに達した事態の緊迫性をやや緩和し、外交的解決の可能性が浮上した。特に05年に第4回6カ国協議の結果として、北朝鮮の非核化を含む9・19共同声明を新たな交渉と対話の基礎とするという米国と中国の立場調整は、非常に前向きな進展に違いない。しかし7年が過ぎたこの時期に新たに韓半島平和の枠組みを形成しようとすれば、まずは事態が今日に至った状況の論理から省みる必要がある。

1989年から1992年まで比較的順調だった南北協力の時期は、過去の冷戦時代の北進統一など韓国主導の統一論を中断し、南北両国体制が共存する現実を受け入れながら、民族共同体の復元を通じた統一への平和的かつ段階的な前進を一緒に計画するという統一案の確定で始まった。さらに北朝鮮が両国家体制の平和的共存と協力に同調し、南北基本合意書、非核化共同宣言、国連同時加入を実現させた。このように始まった平和統一へのバラ色の期待は、北朝鮮の核兵器開発秘密プロジェクトが発覚した93年、いわゆる1次核危機によって崩れ始め、今日に至った。当時、北朝鮮はなぜ南北協調の枠を壊してしまったのか。

冷戦終息直後の世界では、米国が唯一の超強大国として登場した。いくら南北間に協力関係ができても、北朝鮮体制の安全と存続は最終的に米国にかかっていたし、その米国から友好的な保障も受けられなかった北朝鮮は、極度の不安に包まれたはずだ。このように体制の安全が不確かな状況で、北朝鮮は最も効率的な自己救済策が核兵器の開発という結論に達したのかもしれない。その後20年間、米国は北朝鮮の核をめぐる論争よりも中東事態に大きな比重を置いていたし、中国も現状維持が上策という安易な立場を守ってきたことで結局、今のような事態に迎えることになったのだ。


【コラム】韓半島平和のための新しい枠組み(2)

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