【コラム】「暗殺の国」日本、安重根を犯罪者と言えるのか(1)

【コラム】「暗殺の国」日本、安重根を犯罪者と言えるのか(1)

2014年04月04日11時52分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
comment
0
share
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixi
写真拡大
イラスト=カン・イルグ
  日本の右派が安重根(アン・ジュングン)義士を犯罪者として引き降ろす時に思い浮ぶ顔がある。山口二矢。1960年10月、演壇に飛び乗って、熱弁をふるっていた日本社会党の浅沼稲次郎・委員長をところかまわず突き刺して殺害した、あどけない顔をした右翼青年だ。この時、彼の中には「日本の共産主義化を夢見る社会主義者は許せない」と書かれたメッセージがあった。当時17歳。殺害シーンはテレビで生中継されて大き反響を呼んだ。山口はすぐに収監されたが21日後に首をつって自殺する。

  事件はここで終わらなかった。日本の極右派が彼を烈士に持ち上げて、機会あるごとに彼の亡霊を呼び出す理由だ。彼らは山口の忌日には毎年墓地に集まって追悼式を行う。2010年の50周忌には、事件が起きた日比谷公会堂で盛大な追悼式を行った。こんな山口と安義士を比べてみよう。

  まず安義士。祖国の強奪を防ぐために合法的にできることがあったのか。参政権もない状況で言論・社会運動などを通して日帝の野心を防ぐことは不可能だった。要人狙撃という極端な方法で朝鮮の悲劇を伝えることが唯一だった。

  一方、浅沼が殺害された時の日本社会党は執権勢力でもなかった。選挙など日本の共産化を防ぐための正常な方法も保障されていた。それでも山口は刀を持った。

  「抵抗権」というものがある。基本的人権が国家権力によって不当に踏みにじられるのにも、これを民主的方法で防止できなければ革命・民衆蜂起などすべての手段が容認されるという論理だ。抵抗権は国家間でも適用される。国を奪われることになった弱小国の国民が主権回復のために武力闘争するならばこれもまた正当化される。

  代表的事例が「ハイドリヒ暗殺事件」だ。第2次世界大戦の真っ最中だった1942年5月、ロンドンに移ったチェコ亡命政府はナチスの核心幹部ラインハルト・ハイドリヒボヘミア総督を暗殺することにする。そしてチェコ出身のレジスタンスをプラハへと侵入させる。彼らは出勤途中のハイドリヒを狙撃して殺害することに成功する。作戦を終わらせた隊員はプラハの教会に隠れる。しかしまもなくナチスにばれて激烈な戦闘の末に全員が自殺してしまう。戦史に久しく残るこの事件は伊藤博文狙撃とさまざまな面で似ている。

  だが、似た形はここまでだ。以後、完全に違った様相が展開した。終戦になると隊員が亡くなった聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂は聖地となる。95年には彼らを賛える国立記念館まで入った。目を引くのはドイツ政府が抗議するどころか記念館建設に財政的支援を惜しまなかったという点だ。今でも多くのドイツ人が訪ねてきて過去の教訓を再確認している。一方、韓中が安重根記念館を作るやいなや日本の官房長官は「テロリスト記念館」と言って不快感を表わした。

  日本ほど政治テロが頻繁な国も珍しい。日本人が最も尊敬する近代化の旗手・坂本竜馬から暗殺された。幕府時代はもちろん20世紀以降も原敬、犬養毅ら現職首相2人をはじめ約20人の政治家・企業家・言論人らが襲撃を受けて命を失った。驚くべきことは大物政治家を暗殺しても5年、8年で釈放されるケースが一度や二度ではないという事実だ。侍の伝統のせいなのか、日本社会は政治的テロに寛大だという印象を消すことができない。

【コラム】「暗殺の国」日本、安重根を犯罪者と言えるのか(2)
【今日の感想】この記事を読んで・・・
興味深い
悲しい
すっきり
腹立つ
役に立つ

今日のイチオシ記事