安倍首相が憎くても…東北に温かい慰労を

安倍首相が憎くても…東北に温かい慰労を

2014年03月11日09時02分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  日曜日の9日、岩手県陸前高田市には1896個の凧が空に上がった。3年前の東日本大震災による陸前高田市と大船渡市の犠牲者の数だ。凧を飛ばす生存者の目には涙がたまっていた。

  同じ町の高田高校。3年前に22人の生徒、1人の教師が犠牲になった。簡易テントで開かれた卒業式で、生徒代表の送別の言葉で式場は涙の海となった。「3年前、私たちが入学式をする1カ月前に大地震が発生しました。学校が壊れ、入学式も適時に開かれなかった。しかし歳月が流れ、私たちはこのように卒業します。廃虚になった町を見て、何ができるだろうかと悩みの3年を送りました。しかし多くの人たちから受けた支援に報いるために、もう自分たちの力で立ち上がります」。

  卒業式を終えた生徒の顔はすぐに明るくなった。3年前に避難した公設体育館で「配給食糧を送ってくださった全国、全世界の皆様、有難うございます」を叫んだ金野聖実さん(17)は「春からは専門学校で新しい生活を始める」と笑顔で語った。菅原千春さん(17)は「感謝の気持ちを忘れず生きていきたい」と話した。

  同日、福島県いわき市。福島第1原発から5キロしか離れていない双葉町からここに避難して生活している住民約100人の合同慰霊式が開かれた。遺族代表としてあいさつした田中友香理さん(27)は祭壇に向かって、津波で父を亡くした後の3年を振り返った。

  「東日本大震災は私には胸が痛む悲しい記憶です。しかしくよくよしていれば天にいる父が悲しむはずです。お父さん、私はもう元気を出して前に一歩ずつ進んでいきます」。

  日本にはそれぞれの3・11の追憶と痛みがある。朝食を食べて出て行った配偶者を突然亡くし、元気にあいさつして学校に行った子どもは永遠に帰ってこなかった。過去3年間、涙にそまった日記帳にその記憶を残してきた人もいるし、まだ精神的な衝撃から抜け出せず病院に通う人もいる。行方不明になった妻の遺体を家に連れてこようと潜水士の資格を取得し、15キロの酸素ボンベを背負って冷たい冬の海で潜水する50代の家長もいる。東日本大震災の犠牲者は行方不明者を含めて1万8520人。まだ27万人が仮設住宅で避難生活をしている。自殺者の数は3000人にのぼる。

  先月末、特集取材のために訪問した福島県の漁民の姿を見て気になったのは「このような悲しみを内に抱えながら、どのように希望を抱いていけるのだろうか」ということだった。きちんと復旧できない政府を恨むこともない。別の見方をすれば愚かに感じられるほどだ。それだけにいっそう敬意を抱かせる。過去の歴史を否定する安倍晋三政権の態度は許せないが、前向きな態度で黙々と逆境を乗り越えていく東北の住民に慰労と激励を送りたい。
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