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【コラム】怒りをやめてはいけない理由…セウォル号の惨事(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.07.15 16:55
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しかし『危険社会』の著者であるベック教授の観点で、セウォル号惨事はこの社会が内在していた問題の発現にすぎなかった。気候変化と同じようにセウォル号惨事も、危険によって影響を受ける人々とこのような危険を最小化するために意思決定をする人たちが全く違う世界に属しているためだ。ベック教授が「組織化された無責任」と呼ぶものだ。安全輸送の責任を持つ海運会社と監督責任がある関連機関の癒着ですでに亀裂が生じていた船に何も知らない乗客が乗ったのが、セウォル号惨事の本質ではないのか。

国民の怒りに驚いた政府と政界はすでに過去の慣行に戻った。不道徳性は言うまでもなく含量までが不十分な長官候補らが聴聞会の座席に座り、有権者のことは考えず私利党略による公認が遠慮なく行われる。国民が乗るもう一つのセウォル号が、この社会のあちこちで口を開いて出発を待っているということだ。

 
ウルリッヒ・ベック教授の指摘のようにこうした危険をなくし、健康で安全な社会への変貌は、決して自動的になるものではない。国民が怒りをやめてはいけない理由だ。ベック教授は我々がセウォル号惨事を忘れないことが重要だと話す。国民も、メディアも、市民団体も、すべての階層、すべてのグループも同じだ。目を大きく開いて見守らなければならない。責任を果たさない政府・政界に怒り、その怒りを表現しなければならない。それだけがセウォル号以前の社会からセウォル号以後の社会に変貌できる唯一の動力だ。市民よ、怒ろう。そうしなければ、もう一つのセウォル号に閉じ込められ、怒ることもできなくなるだろう。

(中央SUNDAY第383号)


【コラム】怒りをやめてはいけない理由…セウォル号の惨事(1)

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