【コラム】イランジレンマの非常口(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.01.27 17:50
米国とイランの悪縁は1953年に始まる。 51年、国王パーレビは反外勢・民族主義者ムハンマド・モサデクの人気に押されて、彼を首相に任命した。 当時もイラン経済は全的に石油に依存し、英国系石油会社がイラン油田を掌握していた。 ソ連もイラン北部に対して英国と同等な利権を要求した。 モサデクは油田の国有化を断行した。 英国はイラン資産の凍結で対抗したが、モサデクの人気ばかり高まった。 結局、英国は退き、米国がその力の空白を埋めた。
アイゼンハワー政府は中央情報局(CIA)を動員し、クーデターでモサデクを失脚させた。 モサデクは3年間の投獄生活を経て自宅軟禁されたが、まもなく死去した。 実権を回復した国王パーレビは米国の経済的な利権を忠実に守りながら、秘密警察サヴァク(SAVAK)による悪名高い白色テロで国を統治した。 パーレビは中東の盟主になる夢を膨らませた。 79年にホメイニのイスラム革命でパーレビ王政が崩壊しながら米国の試練は始まり、その試練の21世紀版がいま展開されているイランに対する経済制裁であり、それが韓国・日本・欧州連合(UE)などの国の経済に重い影を落としている。