韓経:【コラム】日本の朝鮮女性陶工
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.04.23 10:52
「日本陶磁器の母」と称えられている女性陶工・百婆仙(ペクパソン、1560~1656)。慶尚南道金海(キョンサンナムド・キムヘ)出身の百婆仙は、丁酉災乱(慶長の乱)の時に夫と共に日本に連れて来られた後、最高の名陶磁器「有田焼」を作った主役だ。日本白磁の陶祖としてあがめられている李参平、沈当吉〔シム・ダンギル、沈壽官(シム・スグァン)一族〕と同時代に活躍した人物だが、長い間、詳細が分からないままだった。
百婆仙がスポットライトを受けるようになったのは、2016年「日本磁器誕生・有田焼創業400年」記念イベントを控えて有田の寺院「報恩寺」で塔が見つかってからだ。子孫が建立した塔には、百婆仙が96歳まで生き、優れた指導力で朝鮮陶工を導いて白磁を作ったという内容が記録されている。
初期は有田近隣の武雄市で陶磁器製作に従事していた百婆仙は、夫が亡くなると960人余りの陶工と共に有田に移り住み、自ら窯を運営した。朝鮮社会は女性の窯への出入りを禁じたが、百婆仙は陶工だった夫のおかげで技術を習得し、大規模な技術陣を導くことができた。百婆仙は朝鮮最初の女性沙器匠だった。