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【コラム】習近平と上甘嶺

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.27 15:46
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今月初めに行われた韓中首脳会談で文在寅(ムン・ジェイン)大統領を前に置いて習近平国家主席が述べたという「鮮血」という言葉には経緯がある。

1992年4月18日付の中国共産党機関紙・人民日報は社説で、北朝鮮を「鮮血で一つになった革命同志」と表現した。当時、時事通信は久しぶりにこのような表現が出てきたと強調した。中国は北朝鮮をなだめたりする時に血盟を意味するこのような修辞を使用してきた。当時の状況は、同年8月の韓中国交正常化を控え、北朝鮮の水面下の外交戦が激しかった時期だ。このように朝中関係のテコとしてそれなりに歴史がある鮮血という言葉が「北核問題解決のために中国がより多く役割を果たしてほしい」という文大統領の要請に反発する過程で出てきたというから苦笑が出る。

 
北朝鮮に対する中国の血盟関係認識の根本には上甘嶺の戦いがある。上甘嶺は江原道鉄原郡(チョルウォングン)金化邑(キムファウプ)三角高地と狙撃稜線一帯をいう中国式の地名だ。中国共産党は抗米援朝(米国に対抗して北朝鮮を支援する)を掲げ、韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦した。51年7月に休戦交渉が始まると、中国共産軍は上甘嶺に洞窟陣地を構築した。交渉で優位に立つために戦略要衝地の死守に動いたのだ。52年10-11月の43日間、白兵戦42回、高地の主が12回も入れ替わる一進一退の末、中国共産軍は三角高地と狙撃稜線の一つの高地を占領した。米軍第7師団と共に攻防を繰り広げた国軍第2師団は途中で米軍が抜けると、この戦闘を引き継いで狙撃稜線一帯の2つの高地を奪還した。中国はこの戦闘を抗米援朝を代表する戦闘として包装した。数日にもならないが、米軍と正面から対立し、北朝鮮の戦略要衝地を血を流して守ったという点で、抗米援朝の概念に一致した。小学校の教科書に載せられ、映画に制作された。映画の主題歌「私の祖国」は、大きな国家行事があるたびに演奏され、血盟の記憶を再生産した。

先月、中国共産党宣伝部傘下のメディアは中国共産軍政治組織部長として上甘嶺の闘いに参戦した任栄氏の死去を伝えた。任栄氏は停戦協定交渉にも参加した。任栄氏の死去のニュースを通じて、停戦交渉と重なった上甘嶺の闘いと朝中血盟関係が習主席の意識の中で強烈によみがえったかもしれない。

今日は停戦協定締結64周年となる日だ。停戦協定の関連検索語である上甘嶺の戦い、朝中血盟は静かに中国人の脳裏でつながっているはずだ。停戦協定の一つの軸である中国と国交正常化し、過去25年間に経済・人的交流が爆発的に成長したが、上甘嶺が遮っている限り高高度防衛ミサイル(THAAD)配備による葛藤に見るように韓中関係の期待値はちょうどそこまでだ。

チョン・ヨンファン/中央SUNDAY次長

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