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【コラム】SKハイニックス周辺には6000億ウォンの超好況の“落水”(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.27 15:45
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#ビッグディールと2001~2005年「苦難の行軍」

SKハイニックスの前身は1983年設立された現代電子だ。現代グループ系列会社だったが、今はかすかな思い出として残るのみだ。ハイニックス利川工場のすぐ近くに、一時系列会社だった現代エレベーター工場があるという点と、ハイニックスの社名に現代グループの痕跡を見るけることができる点のみだ。ハイニックス(Hynix)という名前は現代電子の英名であるHyundai Electronix(nics)からつけられた。

 
通貨危機で困難にぶつかった現代電子は99年、金大中(キム・デジュン)政府が断行した財閥グループ間の大規模な事業交換(ビッグディール)によりLG半導体を買収した。半導体事業を断念しろとのメッセージをイ・ホンジェ当時金融監督委員長から伝え聞いた具本茂(ク・ボンム)LGグループ会長は痛飲(酒をたくさん飲む)したという。

LG半導体との合併は巨大負債企業を誕生させた。99年10月合併当時の負債は17兆ウォン、借入金12兆7000億ウォンだった。DRAM価格の下落で結局2000年末に流動性危機が表面化した。2001年ハイニックス半導体と名前を変えて現代グループ傘下から抜けた。ハイニックスは債権銀行の悩みの種であり、金融市場の核爆弾だった。債権団主導のハイニックス支援方案が連日新聞を賑わわせた。半導体は設備投資が重要だが金がなかった。ハイニックスは米国マイクロンに叩き売られそうな危機に面した。

ハイニックスを救ったのは職員だった。彼は「自尊心と魂を担保にする」として構造調整に参加した。賃金を凍結してリストラを受け入れた。設備投資に回す資金がなく、200ミリのウェハー工場を300ミリ工場に改築した。一日一日が戦争だった。悪戦苦闘の末に、一時20社余りがひしめいていたDRAMメーカーのうち3~4社だけが生き残る「チキンゲーム」に生き残った。

「モフィア(Mofia)」と呼ばれた金融官僚の存在も一役買った。当時は市場原理に伴う構造調整を主張してハイニックスを処理しなければならないという学者が多かった。だが、金融当局は債権団を握って、ハイニックスなど過去の現代系列会社の酸素呼吸器を離さなかった。「会社債の迅速買収」という創造的な(?)制度まで考案して、市場で消化できないこれら会社の社債を買収した。別の見方をすれば、ハイニックスは市場原理は守らなかったが、結果的に成功した事例だ。

#危機から何を学んだか

現代グループ時代と債権団管理時代、SKグループの一員になった最近を、職員はそれぞれどのように見ているのだろうか。「現代グループ時代はディテールな管理よりは方向を与えて挑戦させるような雰囲気が強かったと思います。一方、すべてのことが統制されていた債権団管理時代は逆に職員がひとつに団結する契機になりました。債権団だけを信じないで、自分たちの手でもう一度頑張ってみようという熱気がありました。SKグループの一員になった後は経営が一段階アップグレードしました。老後や劣悪な環境も大きく改善されました。昔はここはただの『工場』でしたが、今は『会社』みたいだと言っています」。利川キャンパス総務チームプロジェクトリーダーのチェ・ゲチョル首席の話だ。

チェさんは「好況だからといって安心できない」とし「経営陣も絶えず危機意識を強調する」とも述べた。今は半導体が超好況が続くスーパーサイクルに乗っているが、数年以内に供給過剰が再び問題になる可能性がある。「半導体崛起」を標ぼうして大規模な増設に積極的に取り組んでいる中国が恐ろしい勢いで追撃しているからだ。中国の「半導体自給」が加速すれば2年後は供給過剰が懸念されるという分析も出ている。

チェさんは現代電子時代の92年入社してビッグディールと銀行管理時代を体験した。「私たちはたとえると『6・25(韓国戦争)』を体験した世代といえるでしょう。『戦後世代』とは雰囲気がどうしても違います。すぐにダウントーンがくるだろうという危機意識を忘れないようにしています。不況の時は好況を考え、好況の時は不況に備えなければなりません」

スローガンのように聞こえる彼の最後の言葉は、ローマの軍事戦略家フラウィウス・ウェゲティウス・レナトゥスの有名な語録を思い出させた。「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ(Si vis pacem,para bellum)」。

ソ・ギョンホ/論説委員


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