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【コラム】あまりにもひどい“整形大国”韓国…複製人間たちに一言(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.10.31 15:16
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ここを削れ、あそこを縫えとたびたび指摘したり他人をけしかけたりするようになると、精神的に落ち着かず億劫になり、自分の人生に集中することができなくなる。これほどの状況になれば「若さというのは20代の青年に戻るのでなく、自分の年齢に合った青春を毎回新しく『創造』することなのだ」といった哲学者の話もなぐさめにしかならない。

であれば、どうするか。「生老病死」という極めて自然な人生の営みから「離脱」しようとする苦闘を、どのように受け入れるべきか。

 
「疎外」という言葉をよく言うが、疎外というのは「見慣れない」という意味とも言える。「見慣れない」は、自分ではない外部の対象からくる落ち着かない感情、あるものが目的ではなく手段になる時に発生する概念をいう。

疎外の中で最も恐ろしい疎外は、人間疎外を超えた「自己疎外」だ。自分が「見慣れなく」なって、正体も自尊心も崩れる。「存在」自体が危うくなるのだ。「他人の目に見える私」を追う瞬間、私はすでに1つの消費財であり屋台に置かれた商品になってしまうことなのだ。自身を商品化して他人の機嫌を取ろうとすれば、自分自身が「見慣れなく」なり、安定した人生を続ける知恵を得ることはできない。

韓国のほかに、地球上のどこの国で自分の顔が気に入らないからと言って「ぱっとやり直して、みな変えて」しまうことができるだろうか。恐ろしい考えであり、恐ろしいことだ。二重まぶたになった目、すっと高く立った鼻筋、あごを削った「複製人間」たちや、ぴんと張った顔の中年に出会うたびに私は、こんなふうに叫ぶ。「私が老いるのを、そのままにしておいて!」と。

シン・アヨン在豪州コラムニスト




【コラム】あまりにもひどい“整形大国”韓国…複製人間たちに一言(1)

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