【その時の今日】独立運動を支持した日本人人権弁護士・布施辰治
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.03.31 16:53
日本人であることを恥じた日本の良心。 暗鬱な日本統治下の被圧迫植民地人の手をつないでくれた人権弁護士・布施辰治(1880-1953)。 「博愛の理想の下、弱肉強食の現実をなくし、これを実行する哲学を持つためには、学識と長期間の勉強が必要だ」。弱者の側に立つために法学を学んだ布施は弁護士の道を選んだ。 1911年に「朝鮮独立運動に敬意を表す」という見解の表明するほど朝鮮の独立運動を支持した布施は、1919年2・8独立宣言を率いた崔八鏞(チェ・パルヨン)と白寛洙(ベク・グァンス)の法廷闘争を助けたのを契機に、日本国内の労働運動、農民運動、水平運動はもちろん、「朝鮮人の利益のために闘争する事件」にも取り組むことを明らかにした。 「今後‘社会運動の闘卒に他ならない弁護士として生きていくことを民衆の一人として民衆の権威のために宣言する。 私は主要活動場所を法廷から社会に移す」(「自己革命の告白」、1920年)。 差別を受ける民衆のための弁護士を自任した布施にとって民族は障害にならなかった。 「韓日併合はいかなる美辞麗句で飾っても実際には資本主義的な帝国主義の侵略だった。 朝鮮民衆の解放運動が痛切に私たち一般無産階級の心に訴え、朝鮮民衆が徹底した無産階級解放運動を展開する理由もまさにここにある」(『赤旗』、1923年)