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<インタビュー>韓中親善協会長…「パンダの韓国行き実現」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.23 16:31
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--習主席との縁はどう始まったか。

「浙江省に講演しに行った当時、浙江省の書記だった習主席に初めて会った。その翌月、習主席一行がソウルを訪問した際、済州道の徐福公園を案内し、数時間ほど一緒に回りながら親しくなった。習主席がミカンの説明を見ながら『済州のミカンの種子は浙江省温州から来た』と言いながら少年のように喜んでいたのを今でもはっきりと覚えている。当時、国内の新聞に『習近平が成長株』という記事が掲載されたが、これを切り取って渡したところにっこりと笑ってポケットに入れた。当時、野心がある人だと感じた」

 
徐福公園は秦始皇の命令を受けて済州道に不老草を買いに来た徐福を記念する公園だ。李会長が国会文化観光委員長だった97年、西帰浦(ソギポ)に徐福公園を作れば中国人観光客の誘致に役立つとし、文化部予算を配分して徐福公園を造った。

--習主席と5回会っているが。

「2005年に浙江省党書記として、2009年には上海党書記になって副主席となり、また会った。記者らに『良い友人とも数人交流した』と言って朴大統領、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長、そして私を挙げた」

--昨年の習主席のソウル大講演当時、李会長が特別招待されたが、何か話をしたのか。

「ハルビンの安重根(アン・ジュングン)記念館の件、パンダ寄贈に対する感謝の言葉などだ。また韓中合作で安重根の映画を作りたいという意向も明らかにした。映画制作の件は現在進行中だ」

--習主席のリーダーシップをどう評価するか。

「毛沢東以来、最も強大な力を持つ人だ。中国の人々の間で“習近平大皇帝”と呼ばれている。必ずしも良い言葉ではない。腐敗を摘発するとして接待文化を半分に減らせというので、不平が出ている。ホテル・食堂は商売にならず、景気が冷え込む。習近平の夢は良いが、夢があまりにも大きいため、米国とも摩擦が生じる。これをどう克服するかという問題がある」

李会長が中国に目を向けるようになったのは金相浹(キム・サンヒョプ)元高麗大総長のためだ。高麗大学(政治学科)学生時代の指導教授である金元総長の著書『毛沢東思想』と講義を通じて中国に初めて接した。1985年に偶然出席することになったインドネシア・バンドンの非同盟会議(多者間軍事同盟に参加しない国の会合)が縁になった。韓国はオブザーバー資格で出席することになったが、当時の外務部長官(李源京)が大統領の訪米に随行したため、統一部長官だった李会長が代わりに出席することになったのだ。

「バンドンで中国代表として来た呉学謙と会った。当時は修交がない時代だったが、ミズーリ大でマスコミを専攻した呉学謙の息子の指導教授がちょうど友人のチャン・ウォンホ教授だった。韓中国交正常化当時は呉学謙が外交担当副首相になったが、7年間、息子がメッセンジャーの役割をした。私が手紙を書いてチャン教授に送れば、これを息子がまた北京にいる父の呉学謙に伝える形だ。体育部長官として88年のオリンピックを準備する時、呉学謙に中国の参加意思を打診する手紙を送ったところ、息子を通じて『私は外相なので行くことはできないが成功を祈る』いうメッセージがあった。呉学謙と親しく接すると、胡錦濤前主席までつながりが生じた」

--金大中(キム・デジュン)政権当時、駐中大使の話もあった。

「金大中氏が野党時代に中国を訪問したが、呉学謙が『韓国によく知る友人がいる』と言いながら私のことを話した。金大中氏が執権した後、私に中国大使の話をした。政治路線(当時ハンナラ党所属)を変えるようなので断った」


<インタビュー>韓中親善協会長…「パンダの韓国行き実現」(3)

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    2015.11.23 16:31
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    李世基会長の事務室には習近平主席(上)、胡錦濤前主席(下)など中国の歴代指導者と一緒に撮った写真が飾られている。(写真=李世基元議員)
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