歴代政権の南北関係…「太陽政策は北をのみ込むもの」不信感も
歴代政府は保守・進歩に関係なく南北関係の改善を図った。
金泳三(キム・ヨンサム)政権は前向きな対北朝鮮関係を基調にスタートしたが、金日成(キム・イルソン)主席の急死でその意図を成し遂げることはできなかった。 1993年2月の就任のあいさつで、金泳三大統領は改革に対する民心の支持を基礎に「同盟は民族以上のものではない」と宣言した。 就任1カ月足らずで未転向長期囚の李仁模(イ・インモ)を条件なしに北朝鮮に送還した。 にもかかわらず北朝鮮は核兵器不拡散条約からの脱退と「ソウル火の海」発言で韓国に圧力を加えた。 反転があったのは94年6月、ジミー・カーター元米大統領の北朝鮮訪問当時、金主席が南北首脳会談を受け入れる意向を表明したときだ。 しかし会談を17日後に控えた7月8日、金主席が突然死去し、会談はなくなった。 その後、江陵(カンルン)潜水艦侵入事件(96年)、黄長燁(ファン・ジャンヨプ)労働党秘書亡命(97年)など突発状況が相次いだ。