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【社説】ローマ法王訪韓を契機にわれわれ自身を振り返ってみよう=韓国

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.08.10 13:00
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フランシスコ法王の韓国訪問を契機に韓国の社会構成員は「巨大な質問の壁」と向き合うことになった。カトリックで言う七罪宗のうち、それ自体が罪であり他の罪の根源になる驕慢と貪欲に対し改めて考え自省する懺悔の機会を持つことになったのだ。カトリックではすべての悪は驕慢から始まって、貪欲にその根元を置いていると説明している。驕慢が不完全な自信にとらわれることならば、貪欲は物質と無駄な妄想に誘惑されることだ。

こうした意味から最近の韓国社会を騒がせているユン一等兵暴行死亡事件、セウォル号沈没事故などもこうした人間の悪魔的本性から始まったとみることができる。数カ月早く入隊したという理由で新兵を暴行できるという驕慢と、これを通じ「存在の意味」を求めようとした兵士たちの呆れ返る貪欲。また、事件の真相が明らかになる場合、自分たちのポストが揺らぐことを懸念し縮小・隠蔽に汲々とした軍幹部の姿にも驕慢と貪欲の痕跡が残っていた。

 
安全は後回しにしたまま若い学生たちを相手に金儲けに没頭したある宗教指導者の悲劇的な終末で私たちは人間の驕慢と貪欲が人間の尊厳性を破壊し社会に大きな害悪を及ぼす過程を鳥肌が立つほど生々しく目撃した。金品ロビーを受けて法改正をした容疑で検察の捜査対象となった野党議員や、癒着の汚名とともに拘束令状が請求され息子の家に札束を隠した与党議員の不正を見て、多くの国民は権力の限りない貪欲にうんざりしている。自分たちの公的地位を私的な金儲けの手段に変質させる破廉恥な行為に、「人間は気まぐれで、嘘つきで、貪欲にぎっしり埋まり、こうした貪欲は敵の略奪よりももっと有害だ」というマキャベリの指摘にうなずかせる。

廉恥を知って義理と志操を重要視したわれわれの高尚清廉の精神はどこへ行き、人権を踏みにじる浅薄な資本主義が横行することになったのか。仏家でそれほど警戒した貪・瞋・痴の三毒が韓国社会の所々に入り込み、他人をうらやましがり、ささいなことに怒る愚かさが幅を利かすのではないのか。

そんな私たちにフランシスコ法王の訪韓は宗教的意味以上の社会的含意を持つ。大統領をはじめとする韓国の指導層は「なぜ世界はフランシスコ法王に熱狂するのか」という質問とともに、苦痛を受け貧しい人のための勇気と希望が込められた彼のメッセージに注目する必要がある。彼はアルゼンチンで194人の犠牲者を出した2004年の火災事件に言及し、「われわれは十分に泣かなかった」と話した。軍隊で暴行されて死亡し、修学旅行の途中に海でおぼれて死亡した若者たちのために、韓国社会がどれだけ十分に泣いたのか反問してみよう。(中央SUNDAY第387号)



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