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【コラム】不快な映画広告と集団主義

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.26 13:16
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映画館に行くたびに不都合な広告2つを見る。一つはある大型劇場が後援する「プレミアムコリア」であり、もう一つは歌手イ・ソンヒが歌う「頑張れコリア」だ。ともに趣旨はよい。「私たちは韓国が誇らしい国であることを忘れていました」「厳しくても頑張れコリア!」という内容だからだ。それでも何か引っ掛かる。なぜだろうか。

歌にもなった名演説で米国のオバマ大統領は「Yes. We can!」を10回以上も繰り返す。この文章の主語の「私たち(We)」は「私(I)」が自発的に集まって生じた集団だ。このためオバマ大統領の演説に多くの市民が共感して呼応した。これに対し、これらの広告は私が誇らしい人間であることを想起させるのではなく、私たちの国が誇らしい国であることを強調する。個人が幸せな日でなく大韓民国が幸せな日まで頑張ろうという。

 
チャン・カンミョンの長編小説『韓国が嫌で』に登場する女主人公ケナは、なぜ豪州に移民をしたのかという質問に愛国歌(韓国の国歌)と豪州の国歌を例に挙げる。愛国歌では神が守るのも大韓民国であり、万歳を享受するのも大韓民国だ。豪州の国歌は「豪州の人よ、喜ぼう。私たちは若くて自由だ」で始まる。こうした価値観の違いが韓国を離れた理由だと彼女は話す。映画館の広告が不快である理由も同じだ。集団の栄光を称賛する歌を聴いて、私たちは「なぜ私が誇らしく、私が幸せではいけないのか」を無意識の中で問う。

もちろん集団主義は必ずしも否定的なものではない。韓国が短い期間に先進国入りするのに共同体を優先視する文化が少なからず影響した。全世界を驚かせた「金集め」運動で通貨危機を克服した経験もある。しかし集団主義が過ぎると全体主義やファシズムになることもある。

ペイパルの共同創立者ピーター・ティールは著書『ゼロ・トゥ・ワン』で「不明瞭な悲観主義」に触れている。欧州の多くの若者は未来に悲観的だが、どれほど、そしてどんな方法でさらに悪くなるか知らないため、社会的な成功や物質的な豊かさよりも自己充足的な小さな満足を追求する傾向があるという。多くの韓国人もこうした「不明瞭な悲観主義」の中で暮らしている。もう韓国社会も構成員に「頑張れ大韓民国」のような常套句の代わり、「あなたが幸せになればよい」「あなただけの幸せを探せ」と励ます時ではないだろうか。

チョ・ジェヒョン(ネバタ州立大経営大学院)

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