주요 기사 바로가기

<インタビュー>韓国国会外交統一委員会委員長(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.06.12 16:02
0
--自分で親朴(朴=朴槿恵)と非朴のうち、どちら側に近いと思うか。

「大抵、非朴に分類されているのではないか。しかし親李〔李=李明博(イ・ミョンバク)〕側からも呼ばれないし、親朴側からも呼ばれない。党内選挙でもあまり私に依頼をしてこない。特定派閥によって動くよりも、イシューにより意志決定をしようとしているためではないかと思う。もちろん政治は志を同じくする人同士するものだが親朴と非朴に分ける時ではないのではないかと考える」

 
--来年4月の総選挙で当選すれば4選議員になる。政治を通じて成し遂げたい最終的な目標は何か。

「政治屋は次の選挙を考えるが政治家は次世代を考えるという言葉が好きだ。政治をする最も大きな目的は次世代にとってより良い大韓民国を作ることだと考える。その過程で必要な役割をすることが私の仕事だ」

--政治家ではなく人間・羅卿ウォンの強みと弱点は。

「非常に多くの弱点があると思う。あまりに誠実であろうとすることが強みであり弱点だ。万事をあまりにも上手くやろうとして余裕がなくなる時が多いようだ。しかしどんなことでも与えられたことに最善を尽くそうとする努力の中で良い結果も作られると考える」

--個人的に似たいと思う女性政治家は。

「ドイツのアンゲラ・メルケル首相だ。リーダーシップという側面でも感銘を受けるが私が見習いたいと思う点は退勤後にスーパーで買い物をする姿だ。前回ベルリンに行った時、メルケル首相の家の前に行った。首相は首相官邸に住まず、フンボルト大学教授である夫の教員用宿舎に住んでいる。以前からそこに住んでいたが首相になっても続けて住んでいる。スーパーで買い物をするということは地に足のついた政治家という意味だ。普通の人々の自然な暮らしを感じることが政治家にとってとても重要だと考える。また、自分で買い物をするということはそれでも少しは余裕があるという意味ではないか。余裕の中で新しい政治的アイディアも生まれると思う」

ペ・ミョンボク論説委員・巡回特派員

羅卿ウォン委員長は…

1963年12月、ソウル生まれ。82年、ソウル女子高卒業。86年、ソウル大法大卒業。92年、司法試験合格。95年、釜山(プサン)地方裁判所判事。2002年。弁護士開業、李会昌(イ・フェチャン)ハンナラ党大統領候補女性特別補佐。2004年、17代国会議員(ハンナラ党・比例代表)。2007年、ハンナラ党報道官。2008年、18代国会議員〔ハンナラ党・ソウル中区(チュング)〕。2010年、ソウル市長候補選挙戦出馬。2011年、ソウル市長選出馬。2013年、国際障害者オリンピック委員会(IPC)執行委員。2014年、19代国会議員(セヌリ党・銅雀乙)。2015年2月、国会外交統一委員長。

<インタビュー後記>生放送にも受け答えにも老練さ伺える羅委員長

羅委員長とのインタビューは3度にわたり行われた。最初の30分程度はオンライン生放送で進めた。続けてカメラを片付けた状態で約30分間の補充質問をした。最近の状況を反映するために11日、電話で少し短い追加質問を加えた。紙面のインタビューはその総合版だ。

インターネット放送ではあるが生放送が初めてでどうすべきか分からない記者に「コーチ」するほど羅委員長は放送に手馴れていた。返事も手馴れていた。困るような質問はぬらりくらりと巧みに避けて通った。

2番手 の世界を知らない人生を送ってきた羅委員長にとって2011年ソウル市長選挙の敗北は苦い薬になったようだ。自ら「第2の政治人生を始める基礎になった」と話した。政治哲学や政治のやり方において多くの変化があったともいう。

羅委員長を政治に入門させた李会昌元ハンナラ党総裁とは今でも時々連絡を取っている。最近80歳をむかえた李総裁をもてなして昼食をとったりもした。この頃羅委員長は地方区活動に熱心だ。机上の政治、汝矣島(ヨイド)だけの政治にならないようにするための手立てだといった。来年4月の総選挙が「羅卿ウォン政治」の分岐点になりそうだ。


<インタビュー>韓国国会外交統一委員会委員長(1)

<インタビュー>韓国国会外交統一委員会委員長(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP