【コラム】金正恩の「チャイナパッシング」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.11.23 10:14
2011年5月、豆満江(トゥマンガン)を渡った金正日(キム・ジョンイル)総書記が江蘇省揚州の迎賓館で2泊間の日程を送った。揚州にある間、金正日らの動線は徹底して非公開となった。金正日は南京に行った後、迎賓館に入った。金正日は1号建物の首芳園で泊まった。首芳園すぐ隣の2号建物である舒芳園には王家瑞元対外連絡部長が滞留したことがあると職員は耳打ちした。
王元部長は金正日の全日程を密着遂行した。中国共産党が政府機構より優位にある中国で連絡部長は外交部長より序列が高い。このような政治システムを採択した国が北朝鮮・ベトナムなどあまり残っていないため注目されていないが、党総書記の対北朝鮮通が抜擢される核心要職だ。歴代平壌(ピョンヤン)の中国大使も相当数が連絡部の高位幹部だった。
習近平国家主席の特使として3泊4日間平壌を訪問した宋涛部長が自国に帰ると、中国国際航空は平壌就航を中断した。習主席の親書を持って行った宋部長が金正恩労働党委員長と会えなかったという見方が多い。習近平と金正恩の人的ホットライン構築の試みは水の泡になった姿だ。連絡部長の役割と地位を考慮する時、一回性の伝令でなく中朝関係特有の緊密な公式ラインを取り戻そうという習主席の求愛だった。