【噴水台】華麗なる休暇

【噴水台】華麗なる休暇

2007年07月29日10時32分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  この映画が出てくるのに27年かかった。 この事実だけでも意味があるのかもしれない。 1980年の光州(クァンジュ)を本格的に描いた初めての映画「華麗なる休暇」(キム・ジフン監督)だ。 総製作費100億ウォン(約120億円)台のブロックバスター。 1000万人神話に輝く「シルミド」「ブラザーフッド」に続く現代史素材の感動ストーリー、‘実話’映画だ。

  映画は5・18光州民主化運動の10日間余を追う。 平凡な光州市民がどうして銃を握るしかなかったのかをI感動的に描いている。 主要配役は実存人物からモチーフを取ってきた。 テレビニュースで見慣れた‘80年光州’の代表イメージなども再現した。 下着姿で連行され、棒で殴られる市民、父の遺影を持った少年、太極旗(テグッキ、韓国の国旗)で覆われた棺やデモ車両は、われわれを今すぐにも‘あの日’に連れていってくれる。 道庁から愛国歌が流れ、鎮圧軍がデモ隊に向かって集団発砲する場面は衝撃的だ。

  映画の最大の美徳は‘解放光州’に対する強調である。 映画評論家ファン・ジンミ氏の言葉どおり、市民軍の観点で見た最初の光州映画として、不当な国家暴力に抵抗するため市民が銃を手に取った反乱の歴史を勇気を持って再現している。残酷な虐殺を再現するにとどまらず、悲劇の中で見られるユーモアと連帯、人間的尊厳に焦点を合わせた。 この解放区で知識人が排除されたのも興味深い部分だ。

  しかし‘解放光州’の感激の再現がすべての惜しみを消してくれるわけではない。 映画は光州の10日間を具体的に描いているようだが、‘典型性’と‘抽象化’のワナに閉じ込められる。 例えば虐殺の直前、光州は‘トンマッコル’水準の平和な日常を謳歌する。 政治的真空状態を生きてきた純朴な人々が自分の意志とは関係なく悪魔的な外部人(軍人)に犠牲になる話だ。 発砲命令など事件の全過程は‘全将軍’の指示に忠実な名前も知らない中間軍人によって行われる。

  映画のエンディングは「私たちを忘れないで」という街頭放送の訴えだ。 このように映画は27年前の集団記憶をまた呼び起こす。 しかしそこまでだ。 今の私たちに80年の光州が持つ意味を明確には伝えていない。 映画が触れているのは全く違う点だ。 光州を知らなかったり、また次第に忘れていく彼らの罪責感である。 または「シルミド」と「ブラザーフッド」に続く‘歴史的被害者に対する感傷主義的な訴え」だ。 涙を流した後、心の片隅に何かが支えているのもそのためだ。 誰かの言葉どおり‘罪の意識を消費する映画’である。
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