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【コラム】「政策の政治」から「習慣の政治」へ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.09 13:20
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セウォル号事件を機に、韓国の政治システムの変化のための大々的な圧迫が強まっている。しかし韓国社会の構造的な問題を政府機関の改編で解決しようとする態度は、非現実的に見える。少なからぬ者たちが政府のこのような動きに対して何か実際に変化が起きているかのように国民を安心させようとする意図ではないかと疑う。

全方向的に繰り広げられる政府の迅速な措置は、一時的な満足感を得られるようにしてくれるかもしれない。しかし明らかな事実は、長官の交代や政府組織の改編、またはセウォル号事態に直接関連した何人かを処罰するといっても、今後そのような事件が起きないという保障がないという点だ。

 
韓国が直面している問題は、政策の問題ではなく文化の問題だ。貪欲な企業と、自身の実利だけを得ようとする政府官僚間の不透明な取引慣行は、韓国社会全般に広がった腐敗文化の一断面にすぎない。そのおかげで自分たちの子供の安全が脅威を受けて政府不信が深刻化する。

この問題は、いかなる政策も、どんな政治家も解決するのは難しい。私たちの誰もが責任を負わなければいけない問題だからだ。一般国民は、真の指導者を望むよりも奇跡を起こす「魔術師」を望んでいるのかもしれない。だが指導者というのは、自分たちが選んで何年間か自分たちに代わって問題を解決してくれることを望む人物ではない。自分たちの期待に外れた場合は追い出せばいいというだけの人は、もっと違う。指導者というのは、まさに自分たちの支持を基に、自分たちの理想を実現する人だ。そんな指導者は自分たちを助けることはあるだろうが、問題解決の主体はまさに自分たちそのものだ。

私たちは、指導者にある種の奇跡を望んで票さえ投じれば変化が生まれるとの幻想から抜け出さなければならない。にぎやかな法案が世の中を変えるだろうという幻想も払拭しさなければならない。

私たちに必要なのは、まさに「習慣の政治」だ。文化という政策を通じて変わるよりも、個人それぞれが自身の習慣を変えることによって徐々に変わる。とりあえず危機を克服して法案さえ通過させれば良いと自らをだますのではなく、社会問題が個人の日常的な行動から始まるという事実を、直視しなければならない。


【コラム】「政策の政治」から「習慣の政治」へ=韓国(2)

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