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<慰安婦生存者13人証言>おばあさんのバッジ(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.09.15 09:43
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解放後に帰国したキムさんは馬山に定着した。しかし学校に通ったことがないキムさんができる仕事は多くなかった。家政婦生活をしたり食堂の仕事をしながら生計を立てた。貧困と幼い頃の傷のため家庭を設けることは考えられなかった。当時からキムさんをそばで支えてきたのがホンさんだった。古希を目の前にしたホンさんは「私の母が亡くなった後、隣りに住んでいた今の母と自然に接することになった」とし「私も母も頼れる人がいない生活の中で家族ができたと考え、一緒に生きてすでに50年になった」と話した。

今でもキムさんにとって最も楽しい時間はホンさんが見舞いに来る時だ。少なくとも2日に一度は来るホンさんは1時間ほどキムさんに会って帰る。キムさんの看病人は「キムさんは息子が来れば、精神的にも少し元気になり、喜んでいる」と話した。ホンさんは昨年、血栓症で片足を切断する手術を受けた。その時、キムさんの健康も急激に悪化した。

 
キムさんは苦痛の記憶を一つ一つ忘れている。ホンさんは「数年前までは時々、当時(慰安婦の頃の)苦しかった記憶を思い出して話したりもしたが、今は忘れているようだ。話したところで苦痛ばかり感じるだけであり、何にもならない」と語った。ホンさんは「ただ、母は自分が経験した苦痛の歳月に対する日本政府の謝罪を待ってきた。慰安婦に関する真実がきちんと知られるよう努力してきたことを後代が記憶してくれればいい」と付け加えた。


<慰安婦生存者13人証言>おばあさんのバッジ(1)

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